鹿島の強さ 勝者のメンタリティー/ぜじんが行く

23日、大分戦でジーコTD(左)と観戦する鹿島の鈴木常務取締役

<サッカー記者歴21年ぜじんが行く:鹿島鈴木強化部長に聞く>

サッカー記者歴21年の盧載鎭(ノ・ゼジン、50)です。仲間からは「ぜじん」と呼ばれています。加茂ジャパン以降の日本代表、関東のJクラブ、日本サッカー協会を担当。会社からは「腰が重い」と不評の私ですが、不定期コラム「ぜじんが行く」では、体重3ケタの巨体を揺らし、選手補強の舞台裏やゴール秘話などを聞き回ります。第1回は、04年に担当した鹿島アントラーズの鈴木満強化部長(61)です。

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鹿島がアジア王者になって迎えた新シーズン。選手の入れ替えだけを見ると、かなりの戦力ダウンに映る。それを表すかのように、開幕戦は昇格組の大分にホームで負けた。昨季開幕時のレギュラーから6人が抜けた。補強がうまくいかず、強化したいポジションの2選手を逃した。

鈴木氏 3番(センターバック)と7番(トップ下)を取りたかった。でも、さまざまな要因が絡み、交渉がうまくいかなかった。1番手がダメなら2番手を取るという手法もあるけれど、うちは基本的にそういう選択はしない。うちを選んでくれた選手たちはブルペンキャッチャーをやるために来るわけじゃないから。だったら、今の選手を伸ばそうとなる。昨年、金崎がいなくなって鈴木優磨がグンと伸びた。過去にも、若手に切り替えようと主力を多く放出した00年は、小笠原世代が実戦を積んで成長した。戦力ダウンと言われた14年も昌子、柴崎、土居らが台頭してくれた。今年も安西、安部、三竿ら多くの若手に期待している。

私は毎年、開幕前の順位予想で鹿島を優勝候補に挙げている。20年以上の記者生活で感じたことがあるからだ。優れた技術を持つ選手より、強いメンタルを持つ選手の方が、ここ一番で大きな仕事を成し遂げる確率が高い、と勝手ながらそう思っている。鹿島は選手、スタッフにまで強いメンタルが行き届いている。

鹿島担当になって間もないころ、チームの中心選手だったDF秋田豊(48=日刊スポーツ評論家)が戦力外通告を受けた。通告の日、たまたまトイレに行ったら、泣いている鈴木氏と鉢合わせしてしまった。私の存在に気づき、急に顔を洗いだし涙を隠した。

その日の夕方、秋田氏から「クラブ幹部と話をして移籍することを決めた。移籍先はこれから探します」と教えてもらった。いわゆる戦力外通告だ。何年も後に聞いたが、交渉の席で鈴木氏と秋田氏はともに号泣したという。

鈴木氏は「オレは泣いてないよ」と否定するが、このような話は他クラブで聞いたことがない。1年間の鹿島担当を終えた時、後任との引き継ぎで「鹿島はどんなチームですか?」と聞かれ、迷わず「温かいクラブだよ」と答えた。

立地に恵まれていないが、確かな眼力と人情味あふれる補強策で常勝軍団を維持。全国に多くのサポーターを持つ人気クラブに育て上げた。

鈴木氏 勝ったら自信になるし、自信がついたら普段は蹴れなかったキックが蹴れるようになることがある。勝つって不思議で、グラウンドを見渡す視野も広がる。死角のはずが、勝手に見えてしまう。科学的根拠はないけれど、少なくとも私の経験からはそうだった。勝つと自信、プライド、欲が生まれ、また次も勝ちたいと強く思うようになる。これが勝者のメンタリティーでジーコ・スピリット。私が日本リーグ住金の監督だった91年に、ジーコが選手として来日し、「負けて悔しくないのか」と、何度怒られたことか。

Jリーグ川淵三郎初代チェアマンら、長年日本サッカーに関わっている人から「鹿島は“ダブル鈴木”がしっかりしているから、社長や監督が代わってもチームは変わらない」との言葉をよく聞く。もう1人の鈴木は、事業部長でアイデアマンの鈴木秀樹氏(58)だ。鹿島を支えるダブル鈴木。いつかその話もお届けします。【盧載鎭】

◆鈴木満(すずき・みつる)1957年(昭32)5月30日、宮城県仙台市生まれ。仙台市立中野小3年でサッカーを始め、高砂中、宮城工、中大をへて80年に住金に入社し89年に引退。U-20日本代表。89年から住金監督。92~95年鹿島ヘッドコーチ。96年から強化部責任者に就任。夫人と1男1女。

◆盧載鎭(ノ・ゼジン)1968年9月8日、ソウル生まれ。88年来日し、96年入社。96~02年、04~08年、10年~現在までサッカー担当。03、09年は相撲担当。2児のパパ。