平成1号の前田秀樹氏が語る令和1号の意味

古河電工時代に平成初ゴールを決めた東京国際大の前田監督。令和初ゴールを狙うJリーガーにエールを送った(撮影・木下淳)

Jリーグの前身、日本リーグで30年前に平成初ゴールを決めた元日本代表主将の前田秀樹氏(64=東京国際大監督)が、3日のJ1第10節で令和初ゴールを狙う現役選手にエールを送った。古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)のMFだった89年2月26日に住友金属戦(現鹿島アントラーズ)で得点。令和となり、最も早い午後2時キックオフの浦和レッズ-ジュビロ磐田(埼玉)サンフレッチェ広島-横浜F・マリノス(Eスタ)で生まれる可能性が高い節目弾が、代表強化とサッカー文化の成熟につながると期待を寄せた。

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前田氏は、平成元年のプレーを令和元年になっても正確に口頭で再現した。「後藤(義一)の左CKを右の側頭部と肩に当てながら押し込みました。雨で足場も悪かったなあ」。午後1時に始まって前半9分に平成初ゴール。「すぐ後に吉田(弘)の点もアシストしてませんか?」。記憶通り前半24分にお膳立て。3-1の平成初勝利に導いた。

これが、昭和に日本代表主将を長く務めた男の現役最後の点になった。翌年引退。平成5年の「ドーハの悲劇」は、地上波で中継したテレビ東京の解説者として迎えた。同局歴代最高の視聴率48・1%を記録した放送で「アナウンサーの久保田光彦君と『えっ、何が起きたの』って黙り込んでしまって」。約30秒間の沈黙後に「サッカーは怖いスポーツ」との言葉を振り絞ることしかできなかった。

その後、指導者に。千葉ユース監督時代に阿部勇樹ら後の代表4人を育て、水戸ホーリーホックの監督時代は浦和の森GM(元代表監督)に闘莉王獲得を推薦した。現在は関東大学2部の東京国際大監督。この日は埼玉スタジアム第2グラウンドで慶大相手に令和初勝利を挙げた。

新時代へ、Jリーグのさらなる発展を願っている。「平成はリーグがプロ化され、ワールドカップ(W杯)に出て、最も成長した。昔なんて選手がプレーするだけで良かった。競技場をつくって勝つか負けるか。一例が国体だった。今は違う。競技だけではなくテーマパークとしても楽しませないと」。隣の埼玉スタジアムでは翌日、浦和と磐田が令和初戦で激突。5年ぶりに2戦連続で観客5万人を超える見込みで「子供に夢を与える点と試合になればいい」と期待する。

その中で「記念の得点者が誰になるか予想は難しいけれど」と笑った上で「誰が決めても、リーグの注目度とレベルの向上につながる1点になる」と言った。「代表強化にも、サッカー文化の成熟にも結びついていく。日本のサッカーを、スポーツを底上げする得点になるでしょう」。平成初から30年。令和初ゴールは単なる1発目にとどまらない。当時以上に意味を持った得点になる。【木下淳】

◆前田秀樹(まえだ・ひでき)1954年(昭29)5月13日、京都市生まれ。京都商高から法大。大学3年時に日本代表初選出。トップ下だった古河電工では日本リーグ1部通算209試合35得点、主にボランチだった代表では65試合11得点。昭和後期の主将として2度のW杯予選、3度のオリンピック予選に出場した。03年から5季、水戸監督を務めた後に東京国際大へ。県2部から6年で関東1部に導いたが、昨季2部に再降格した。令和も指導者として生き続ける覚悟。169センチ。