栄養バランスよかった母の手料理/越後列伝

2~3歳ごろのセルジオ越後氏と母重さん

少年時代のセルジオ越後氏も、多くの子どもがそうであるように食べることが大きな喜びの1つだった。当時はコンビニもなく、食事は自宅で5人きょうだいそろってが基本だ。大皿にステーキが切り分けられ、親に「野菜スープを飲み終わったら、ステーキを食べ始めていい」と言われる。兄が早くステーキを食べたくて、スープをふうふうと冷ましながら素早く平らげた。これを見て、すぐにまねしたという。

よく青空市場への買い出しにもついて行った。都内でいえばアメヤ横丁みたいな感じで、試食し放題だから、育ち盛りにはたまらない。牛肉や野菜、果物は安くて豊富。ブラジルでは安価なもののことを「バナナの値段」と例えるという。同氏は来日すると、日本では牛肉の値段がブラジルの10倍ほどでびっくり。それまで肉は塊で買うものだったから、薄切りで売られているのも初めて見た。

母重(しげ)さんの手料理を「今思えば、すごく栄養のバランスがいいものを食べさせてもらった」。菓子類は与えられなかったが、マンゴー、パパイアといった日本では高価な果物も日常的、オレンジジュースは常に自分で搾った果汁100%だった。そして「あの野菜スープは、買い出し前日の『在庫整理メニュー』だったんだよ」と笑って振り返っていた。

◆セルジオ越後 ブラジル・サンパウロ生まれの日系2世で、18歳でブラジルの名門コリンチャンスとプロ契約。同国代表候補にもなった。72年に来日、藤和不動産サッカー部(現湘南)でプレー。78年から「さわやかサッカー教室」で全国を回り、開催1000回以上、延べ60万人以上を指導。その経験から「セルジオ越後の子育つ論」など子育て本も出版。93年4月から日刊スポーツ評論家。06年文部科学省生涯スポーツ功労者表彰受賞、13年外務大臣表彰受賞。17年旭日双光章を受章。H.C.栃木日光アイスバックスのシニア・ディレクター、日本アンプティサッカー協会最高顧問。