磐田名波監督「やりきったとは思ってない」苦渋決断

川崎F戦後、スタンドのサポーターの元へ向かう磐田名波監督(撮影・中島郁夫)

<明治安田生命J1:磐田1-3川崎F>◇第17節◇30日◇ヤマハ

磐田の名波浩監督(46)が電撃辞任した。ホーム川崎F戦後の会見で自ら口を開いた。「勝とうが負けようが、この試合で辞任することを決めていました」。試合後には大ブーイングの中、サポーターにも自ら歩みよって決断を伝えた。この日の敗戦で、開幕から17試合を終えて3勝5分け9敗の勝ち点14。順位は最下位に転落した。J1参入プレーオフの末に残留を果たした昨季の不振も踏まえ、責任を取る形となった。

今季は攻撃改善を掲げてシーズンに入った。しかし、ここまでリーグワースト2位タイの12得点。7試合で無得点と、好転しない状況に比例して順位も節を追うごとに低迷していった。名波監督は「楽しそうにサッカーをさせてあげられなかった。そのけじめを自分自身がつけられなければいけないと思った」。具体的な時期は明かさなかったが、数日前には辞意を固めていた。

14年9月25日、シャムスカ監督の後任として就任した。15年にはチームを躍進させる。最終節では大分にロスタイム弾で勝利。J2を2位で3季ぶりのJ1復帰を決め、選手の手で宙を舞った。名波監督は、会見で「大分戦以上の感動をチームにもたらすことができなかった。やりきったとは思っていない」と、悔しそうに振り返った。現役時代には司令塔として3度のリーグ優勝を磐田にもたらしたレジェンド名波浩-。指揮官として歩んだ道のりは、無冠のまま、志半ばで終わりを告げた。【前田和哉】

◆名波浩(ななみ・ひろし)1972年(昭47)11月28日、静岡県藤枝市生まれ。清水商(現清水桜が丘)、順大を経て95年に磐田加入。プロ1年目から主力として活躍。99年6月にセリエAのベネチアに移籍し、00年に磐田復帰。C大阪、東京Vを経て08年に磐田に再度復帰し同年引退。14年9月に当時J2だった磐田の監督に就任した。磐田の選手時代にベストイレブンを4度受賞し、3度の年間優勝に貢献。J1通算314試合34得点。日本代表でも活躍し、国際Aマッチ通算67試合9得点。