鹿島が変わる メルカリ小泉社長が鹿島社長に就任

湘南-鹿島戦を視察するメルカリ小泉文明社長(右)(2019年8月3日撮影)

鹿島アントラーズの経営権をメルカリが取得することが30日、公正取引委員会に承認された。鹿島はこの日付で新体制に切り替わり、メルカリの小泉文明社長(38)が鹿島の社長に就任する。

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新体制移行に向けて、このほどメルカリ小泉社長と鹿島の鈴木満常務取締役強化部長、鈴木秀樹取締役事業部長が鹿嶋市内で取材に応じた。

◆住友金属と鹿島アントラーズ

鹿島アントラーズの歴史は、1947年に大阪で「住友金属蹴球同好会」が発足したことにさかのぼる。鹿島製鉄所の誕生に伴い、1975年に鹿島地域へ移転。同時に鹿島地域は一大工業地帯へと発展した。

日本にプロサッカーリーグ発足の機運が高まった1990年、住友金属にもプロ化の誘いが届いた。「娯楽の少ない鹿島地域を活性化させ、より住みよい町にしたい」という住友金属のビジョンが、「地域密着」を掲げるJリーグの理念と合致。プロ化への動きは急速に進み、91年5月に住友金属の理念に賛同したジーコが入団、同年10月に鹿島アントラーズが誕生した。

◆住友金属から新日鐵住金へ

「鹿島地域を活性化したい」。同じ思いを抱く住友金属と鹿島アントラーズは、円満な関係を続けてきた。ところが12年10月、新日鐵が存続会社となり住友金属を吸収合併し、「新日鉄住金」となった。秀樹氏によると、この合併後「アントラーズとの距離感、温度感が変わった」という。それでも秀樹氏は「彼らの考えは正しいと思う。素材メーカーがプロクラブを支えるには限界がある」と見解を述べる。

親会社である新日鐵住金からすれば、鹿島アントラーズは約400ある子会社のうちの1つで、しかもプロサッカークラブ。鹿島地域への思い入れも、当然住金のそれとは異なる。関係性が変わってしまうのも、致し方ない。

◆メルカリの決め手は「愛」

鈴木秀樹氏によると、4年ほど前から新しい親会社を検討する動きが始まり、最終段階になったのが約2年前。その時点ではメルカリの他にも複数社、候補があったという。

決め手となったのは「アントラーズへの愛情をいちばん感じたから」(秀樹氏)。小泉氏は父の実家が鹿島のホームタウンにあり、幼い頃からファンとしてアントラーズに接していた。その情熱は、鈴木満氏に「僕より昔のことを知っているし、熱く応援してくれている」と言わしめるほど。鹿島という地域への思いとアントラーズへの愛が、首脳陣の心を揺さぶった。

それだけではない、鈴木秀樹氏は「地域と一緒に成長することを考えると、僕らの世代では考えつかなかったテクノロジーが重要になってくる。その点で次の世代が最も会話をしやすい存在」とも言った。Jリーグも27年目、あの頃生まれた子どもたちが親になる年月が経過した。世の中の進歩に合わせて持続的に成長できるよう、クラブにも時代にあったリーダーが必要なのだ。

◆何が変わるのか

小泉氏は鹿島の社長に就任し、メルカリからは数人が鹿島に出向予定。その他内部人事に大きな変更はないが、親会社が変わることで、意思決定などの際のプロセスが変わるという。これは前途の「素材メーカーがプロクラブを支えるには限界がある」という鈴木秀樹氏の発言に帰結する。

現在は老舗素材メーカーの「多重プロセス化」された「Jのクラブではありえないくらい細かい規定がある」制度の下、組織運営を行っているが、ここが変わる。メルカリは現場で意思決定ができる制度を採用しており、アントラーズでも立場関係なく平等にチャンスをつかめるように“フラット化”するという。

また小泉氏は、スポーツとテクノロジーの融合に可能性を感じているという。「スマホの登場が見える前後でミクシィを辞めて、メルカリを創業者らとともに作ってきた。『ここは社会が大きく変わるタイミングだな』というのが、自分の中で嗅覚としてある。チャレンジのしがいがある」。田舎の強豪クラブとテクノロジーを融合させたら、どんな化学反応が起こるのか。小泉氏は「今すぐバーッと変わる必要があるとは思わない。数年かけてやっていきたい」と述べた。

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取材会の中でも小泉氏は、今までの鹿島にない発想を披露した。カシマスタジアムの名物といえば「モツ煮」だが、小泉氏は「おいしいけど、“モツ煮”すぎるんですよね」と苦笑い。確かに、モツ煮の出店は数え切れないくらいある。「今なら低糖質のピザとか、タピオカを入れたらいい。サッカーを見なくても、人生の一部としてサッカー場が楽しければいい」。小泉氏なら鹿島に新たな風を吹き込むだけでなく、これからのJリーグをけん引していく存在になれるかもしれない。【杉山理紗】