引退大野、佐々木則夫監督と「相思相愛で」一問一答

引退会見を行った元なでしこジャパン大野忍(撮影・中島郁夫)

サッカー元女子日本代表FW大野忍(36)が12日、都内で引退会見を行った。昨年12月に、なでしこリーグ1部のノジマステラ神奈川相模原を契約満了で退団していた大野は2月5日に現役を引退することを発表。この日は白いシャツに黒いパンツのラフな姿で会見に臨み、決断の背景や指導者を目指す今後についての意気込みを語った。主な一問一答は以下の通り。

-引退についてはいつ頃から考え始めたのか。決断したのはいつか

大野 正直なところを言うと、去年の10月ぐらいからシーズン中ですけど、ずっと考えていることが多くて。選手なんですけど、指導者目線になってしまっている自分がいて。その葛藤とも戦っている時期もあって。よく選手兼コーチとかありますけど、それは自分はやりたくなくて。やるんだったらしっかり辞めて指導者の道ででいこうと決めていたんですけど。それがずっとその時期から考えて葛藤していたことが多くて、悩んで戦ってというのはありました。

-周囲に相談は

大野 相談はすごくしました。澤さんだったり、宮間あやだったりにすごく相談して。どうあるべきなのかとか、どうやっていくべきなのかとか、辞めてもいいのかなという相談もしましたし。でも、2人とも「場所があるんだったら絶対やった方が良いし、続けた方がいい」と言ってくれましたけど、場所もないというのも実際ありましたし、タイミング的にもいいかなと思って、指導者になって、そういう子たちをつくれるように努力して、助けられるような指導者になれたらという気持ちです。

-現役中に印象に残っているゴールは

大野 その質問は準備していました。全て思い出はあるんですけど、やっぱりロンドン五輪でのブラジル戦の得点は忘れたくても忘れられないというか、見れば見るほど、自分だったのかなと思うぐらいのシュートというかゴールだったので、すごく思い出に残っています。リーグ戦でもいろんな形のゴールがあったんですけど、自分はヘディングがあまり得意ではないんですけど、その中でヘディングで決めたゴールは思い出深いなと思います。

-ここまで長くやってきて、体調管理やけがで苦しんできたこともあったと思うが、一番身体的に苦しいと思った時期は

大野 大きなけがをあまりしなかったので、けがに苦しむということはなかったですが、各チームのトレーナーの方には感謝していますし、そういう方たちがいなかったら、大きなけがを避けられていなかったと思いますし、食事面では一時期苦しんだというか、嫌いなものが多くてですね。嫌いなものに栄養があったりしてですね。そういうものを食べなくてはいけないという戦いはありました。でも、歳を重ねるにつれ、それもしっかり克服して、大事なんだぞというのもわかってきたので。食事制限は北京五輪が終わってから、本気で世界と戦いたいと思って、そこは頑張りました。

-ムードメーカーとして一番大切にしていたこと

大野 自分自身がサッカーを楽しむことでしたね。自分が楽しむことで、それが周りの人に伝わればいいなと思っていましたし、自分を引き立ててくれた周りの選手たちがいたので。そういう選手たちに自分は感謝したいですし、そういう人たちがいたからこそ、自分がムードメーカーというか、ふざけられたこともたくさんあったので、感謝しています。苦しい時こそ笑おうというのは思っていましたし、自分たちの時のなでしこジャパンは明るいというのがとりえだったので。そういう意味では苦しい時こそ笑おうというのはありましたし、自分にも言い聞かせていました。

-11年のW杯優勝以前にサッカーをやっていた時のご自身の環境なども踏まえて、当時はどんな気持ちでサッカーに取り組んでいたのか

大野 少しでも女子サッカーを知ってもらおうということしか考えていなかったと思いますし、世界一もとれたらいいよねという感じでした。まずは本当に女子サッカーをたくさんの人に知ってもらうという思いはありましたし、よく話はしていました。

-大野さんはW杯で優勝した時も子どもたちに人気だった。今、そういう子たちに何を伝えたいか

大野 先ほども少し話しましたが、サッカーを楽しむということにはこだわってほしいなと思いますし、よくサッカー教室を見に行っても、できなくてつまらなそうにしている子がいるんですけど、できないんじゃなくてやろうとしてないだけで。そういうところを教えていきたいですし、サッカーが楽しいんだよって言うのを伝えていきたい。自分が小さい頃は、よく兄に「ゴール前にいなさい」と言われたんですよ。決めればいいからという状態をつくってもらって。その感覚がうれしくてうれしくて、点をとるFWにこだわるようになったんですけど。子どもたちにアドバイスをして、ゴールを決める場所だったり、シュートブロックをして止める感覚が気持ちよかったりとか、そういう喜びを教えていけたらいいかなと思っています。

-これから指導者として具体的にどんな選手を育てたいか

大野 こういう選手というよりかは、自分がそうでしたが、身長とか小さい選手に対しては、それを不利と思わないで、それを強みとして最大限、良い選手になるというのを伝えていきたいですし。技術だけでなく、メンタルの強さだったり、礼儀のところもちゃんとできる選手をつくっていけたらいいなという風に思っています。

-ゆくゆくはなでしこジャパンの監督も目指すか

大野 今のところはないです。やりたいぜっていうのは。でも、関われるんだったら関わっていきたいですし、目標にはもちろん立てた方がいいとは思いますけど、今は(B級コーチライセンスを)取りたてなので。まだ初心者なので。いろんな指導者の方とお会いして学んで、得て、吸収して、ゆっくりいけたらいいかなという風には思います。とりあえずまだBなので、ゆっくり。とりあえずAは頑張れたら頑張りたいなという気持ちでいます。

-現役生活のハイライトには11年のW杯優勝があると思うが、今、当時を振り返るとサッカー人生にどんな影響をもたらしたか

大野 自分たちが優勝したことで、震災があって、たくさんの方からありがとうございますと言われますけど、お礼を言われるのは自分たちには不思議で。逆に言いたいんですよね。そういう人たちが笑顔になってもらえるのであればということで自分たちは頑張れたので。その人たちがいなかったら自分たちはもしかしたら優勝できていなかったと思うので。これからもそういう人たちのために、自分たちが何か変えられるものがあるとするならば、指導者としてそういうものをしっかり変えられるようなプレーを見せていけるようなプレーができる選手ををつくれるようにしていきたいなと思います。

-指導者を目指そうと思ったきっかけは

大野 現役中にたくさんの指導者に会いましたが、一緒に練習していてメニューがすごく楽しかったんですよ。なんでこういう風に練習して、それがどう試合につながるのかという説明を受けて。見本をみせてくださいよって言ったらうまくて。自分へのインパクトが強くて。こういうのいいなっていうか、辞めたらこういうのがいいなというような。そういうものをすごく思って。きっかけというか、それが衝撃でした。

-これからプライベートでやりたいことは

大野 すでにいろいろ始まってるんですけど、お昼間にお酒を飲むとか。食事も気にせずバクバクいってしまうところとか。もう頑張らなくていいんだっていう気持ちになったり。現役だと考えられないことが、OKになってしまうところが楽しくて。それを満喫というか、楽しんでいます。

-今年は東京五輪もあるが、今のなでしこジャパンをどう見ているのか。

大野 自分にとっては五輪選手になることは夢だったので。それはなりたくてもなれるものではないですし、そういう場所に立てて自分がメダルを獲得できたことは忘れられない思い出です。それを今のなでしこは実現しようとしていますし、自分がもう1度、ここに立ちたい、立っていたんだなという目線でみれるのは面白いと思っています。心から本当に応援できると思っていますし、選手にとっては人生で1度しかないチャンスなので、東京で五輪ができることがうらやましくてしょうがないですし、そこに立てることは素晴らしいことだと思うので、胸を張って楽しんでもらいたいです。日本の国民の方が味方で応援してくれているので、そういうのを全て自分たちの武器にして戦ってもらえたらいいなと思います。自分にとってはW杯より五輪の方が大きな大会だと思っていましたし、サッカーだけでなく注目される大会、すごいものだと思っていました。逆に自分がこういうことを言うことは申し訳ないですけど、それをプレッシャーに感じないでほしいですし、W杯はW杯、五輪は五輪なおで。その大会に対して自分たちがどこまでいけるのかを追求していってほしいですし、目指すは金メダルだと思いますので。絶対触らせてもらいます、岩渕に。

-銀メダルをとったロンドン五輪決勝に至るまでの当時の心境はどうだったのか

大野 すごかったですよ。本当にここにいていいのと思いました。ホテルの部屋にトーナメントをみんなで書いてやっていくと、そこに日本が残っているんですよ。自分たちでも驚きというか。ここまでくるといっちゃうでしょっていう感じで。そのころは超ハイテンションで、つかめないものじゃないんだなっていう感覚でいました。失うものがなかったので。でも相手の顔はおそろしかったですよ。本当に忘れないです。こんなやつらに負けるかって顔していたんですよ。でも、時間が進むにつれて、じりじりと焦り始めてたので。しめしめという感覚でした。

-大野さんがいた頃のなでしこは大会本番に強いイメージだった。その要因は

大野 仲間に対しての意識は強かったですね。この仲間だからこそとれる、とりたいというものはありました。実際、現役を引退するにあたっての大きな理由はそれでした。一緒にやりたい仲間がいなくなってしまったのが、大きなポイントだったかなと思います。仲間は本当に大事だと思いましたし、五輪、W杯と長くいればいるほど、この人たち絶対とりたいと思えたし、力が出るので。それは自分たちの時は強かったのかなと思います。

-そういったチームメートたちと3月に東京五輪の聖火ランナーを務める。もし走られた場合にどんなことをしたいか

大野 すごく名誉なことですし、うれしかったです。何よりW杯メンバーに会えるということが一番うれしかった。走る準備もそのためにしていますし、今のなでしこはこうだぞっていうアピールもしていきたいなと思っています。

-支えてくれた家族について

大野 両親には本当に感謝しかなくて。引退するというのも一番納得いってなかったのは父だったんですよ。何でお前が辞めないといけないんだって。他にチームはないのかってずっと言っていて。母は違う道で頑張っていけばいいよねって言っていて。父がそういう風に言うのは珍しかったので、申し訳なかったですけど。最後に自分で引退試合はこれと決めてなかったので、最後の姿を見せてあげられなかったのは悔いというか、申し訳なかったなと思います。両親の応援がなかったらやってこれなかったので感謝しています。

-佐々木則夫監督との絡みも印象的だった。あらためて佐々木監督はどんな監督だったか

大野 ノリさんね、しっかり朝、電話しました。連絡がちょっと遅くなってしまったんですけど。そのノリさんから「すぐA(級コーチライセンス)をとりにいけ」って言われて。まだ新米さんなので、これからはイベントとかサッカースクールに参加してやっていきますって言って。ノリさんのサッカー教室にも出させてくださいねと言って、相思相愛で終わりました。本当にノリさんが自由にしてくれましたし、理解もしてくれたので感謝しています。やっぱりああいう指導者にも憧れる部分がありますし、選手から慕われるような指導者になっていきたいなと思います。

-大野忍とはどういうストライカーだと思うか。サッカーは自分をどう成長させてくれたか

大野 どんなストライカーかは、あんまり自信をもってこれだとは言い切れないですけど。点を取れたのは周りにいた選手がいて、自分が取れたものだと思っています。ただシュートをするだけの状況をつくってくれたチームメートに感謝していますし、ストライカーになれたのは周りの選手がつくってくれたものだと思います。サッカーは自分にとっては本当に常につきまとうものというか。常に並行しているというか。オフで今日はサッカーのこと考えないぞって思っていても、サッカーを見ちゃったり。暇さえあれば、そのへんでやっているサッカーを見ちゃったり。自分にとってサッカーがなかったら何もないんじゃないかと思いますし。丸い物見ると全部蹴りたくなっちゃうんですよ。それぐらいサッカーが本当に好きなんだなと思いますし、自分にサッカーがなかったら何が残るんだろうって逆に思ってしまうようなものです。

-現役生活を終えて寂しさを感じる瞬間はあるか

大野 ふとした時にお疲れさまと言われたり、意外と自分が我慢しているものを相手の方が出していると本当に終わっちゃったんだなと思います。引退すると決めてからすごいメールが増えたので。すごいことなんだなと思いました。もったいないねというメールがすごいたくさんきて。そういう風に思ってもらえてたんだなと思いましたし、自分自身しっかりと決めたことなので。楽しく生きていこうと思います。引退会見に涙はいらないですね。こんなに集まってもらって驚きました。でも、澤さんに昨日連絡した時に「しっかり話してきなさい」と言われたので、しっかり話させていただいています。