曹貴裁氏、大学サッカーで再出発「彼らから学ぼう」

流通経大-明大の練習試合で選手を送り出す曹貴裁コーチ

選手らへのパワハラ行為が認定され湘南の監督を退任した曹貴裁氏(51)が、関東大学リーグ2部に所属する流通経大のコーチとして再起を図っている。

昨年10月の退任から約半年がたち、このほど日刊スポーツの取材に応じた。現在に至るまでの心境、自身の現在地、そして今後は? S級指導者ライセンスの資格が1年間停止される中、大学サッカーの舞台で再出発した曹氏に聞いた。

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曹氏は「今は自分が取材を受けるような立場やタイミングではないですよ」としつつ、質問1つ1つに丁寧な口調で答えた。プロ選手でなく学生を指導する現状について聞くと「自分がなにかを押しつけるのではなくて、この子たちと向き合って、彼らから学ぼうと思っている段階です」と、自身を客観的に見るように話した。

久々に練習場で指導した時の気持ちは消えないという。「選手にかける言葉が出てこなくて。ピッチの中で『全然だめだな』って。本当に少しずつ、選手にも協力してもらった」。1度は仕事の感覚も鈍ったが「マイナスには捉えていない」という。そして続けた。

「指導者であることが当たり前と思っていた自分がいた。こういうことを仕事にできることが、あらためて幸せだと感じます」

選手に目をやりながら、静かな口調で話した。

湘南での一件をどう消化したのか。

「突然だったので、なかなか整理がつかなかった。チームを強くしたい、選手を育てたいという気持ちだったことにウソはなかった。ただいろんな意味で、自分の考えが狭かった。大変申し訳ないことをした」

当時を掘り返す問いかけにも、視線をそらすことなく応じた。

追われるように現場を離れた約半年間。「本当にしんどいときもありました」。ただ指導者として、償いや恩返しは現場でしかできない。賛否が起こるのも承知の上で、指導の場に戻ることを決めた。

「ずっと下を向いて(後悔に)さいなまれていても、自分がいつも言ってきたことと全然、違うことになってしまうなと。選手にはずっと『苦しいときこそ何ができるかだぞ』って話してきた。僕自身がここで逃げるのは違う」

パワハラ問題は、サッカー界に暗い影を落とすことになった。過去は変えられない。だから、これからの言動で示すしかない。

「いろんな人に迷惑をかけてしまった。今の現場からそれを返していきたい。自分に足りないところをしっかり認識するということを、50歳でやれたことを前向きに捉えないといけない」

今季、流通経大は群雄割拠の関東大学リーグで2部を戦う。28日に行われた昨季3冠(総理大臣杯、関東大学リーグ、全日本大学選手権)とタイトルを総なめにした明大との練習試合では、2-0と完勝した。昨季リーグ優勝の相手に球際やルーズボールに猛然と詰め、プレスに駆け回った。

「子どもたちや周囲の人に感謝して、自分に指導されてよかったと思ってくれる選手たちをたくさん作っていきたい。そのためにまず自分が学びなおしています」

曹氏はベンチに入り、時折タッチライン際から選手に指示を送った。ライムグリーンのユニホームを着た選手が身を粉にする姿は“湘南スタイル”に重なるものもあった。

「ここをステップにするのではなくて、選手やチームを良くして、弁護士さんの研修も受けて、自分のマネジメントの勉強もする。アウトプットだけじゃなく、インプットする時間にも充てていきたいと考えています」

今後のキャリアについては「今は考えられないです」と話すように、静かに自身と向き合いながら、再び指導者の道を歩んでいる。【岡崎悠利】

◆湘南のパワハラ問題の経緯 19年8月、曹貴裁監督のパワハラ行為が報じられた。Jリーグが調査チームを立ち上げて事実確認に乗り出した。同年7月には日本協会に被害通報があり、クラブ関係者約60人に対するヒアリングなどを行った結果、10月4日にパワハラの事実があったと発表。公式戦5試合の出場資格停止処分を科した。指導を自粛していた曹監督は8日に監督を退任した。日本協会は11月14日の理事会で、曹監督のS級指導者ライセンスを1年間停止することを決めた。1月29日、日本協会の関塚技術委員長が、現場復帰に向けた研修の一環として流通経大で選手を指導することを明らかにした。

◆曹貴裁(ちょう・きじぇ)1969年(昭44)1月16日、京都市生まれ。京都・洛北高、早大を経て91年に日立製作所に入社。93年から柏、浦和、神戸でプレー、00年に川崎Fのアシスタントコーチに就任。05年に湘南へ入団し12年から監督。12年にJ2で2位、14年にJ2優勝でJ1昇格、16年にJ1で17位に沈み降格するも、翌17年にJ2優勝で再びJ1へ昇格。18年は「走る湘南」スタイルに磨きがかかり、ルヴァン杯でチームを初優勝に導いた。