来年度廃校の五戸、誇りを胸に単独出場ラスト選手権

最後の大会に臨む五戸の選手たち(撮影・野上伸悟)

<輝きを待つ東北魂!>

全国高校サッカー選手権青森県大会1次予選は29日から始まる。インターハイに11度、全国選手権に14度の出場を誇る1957年創部の名門・五戸は、少子化の影響により来年度末での廃校が決定。2年生部員は3人のため、今大会を最後に単独チームとしての歴史に幕を閉じる。85年度の全国選手権では双子の手倉森誠(52=現J2長崎監督)、浩(52=日本サッカー協会東北地域統括ユースダイレクター)兄弟らとともに、全国8強の立役者となった三浦豊監督(52)が、母校に最後の歴史を刻む。30日に八戸工大二-青森工の勝者と初戦を迎える。

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四方を森に囲まれた、ホトトギスのさえずりが響くグラウンドで、最後の五戸戦士15人がひたむきにボールを追いかけている。三浦監督は穏やかなまなざしで見つめていた。「町の人、OBたちに、最後まであきらめない姿を見せられれば。最後まで相手に体をぶつけ、最後まであと1歩を出して」。五戸のレジェンドは、何度も『最後』という言葉に思いを込めた。

小3の担任から「五戸でサッカーをやると、いろんな場所に行けるよ」と聞かされ、旅行気分で少年団に入った。小6の全日本少年大会で初めて東京に行った。「全国にはうまいやつらがいっぱいいる」。同大会で優秀選手に選ばれた手倉森浩は、その後も年代別の代表に呼ばれた。「合宿から帰る度にうまくなっている。そんなところにパスを出すのかよって」。仲間から刺激を受け成長を続けた。

全国高校選手権で初の8強。卒業時には日本リーグから誘われたが、「自分の経験を青森、五戸の子たちに伝えたい」と教師を志した。大学卒業後に採用された山形では、山形商を全国選手権初出場に導き、開会式で国立競技場を行進する姿を見て涙があふれた。そしてあらためて思った。「五戸の子たちにも全国を味わわせてあげたい」と。

97年、母校への赴任が決まった。「すぐに全国に出られると思っていた」が現実は厳しかった。ちょうど青森山田の23連覇が始まった年。地元の過疎化は深刻だった。指導よりも人集めに苦心した。新人戦ではテニス部や野球部から助っ人を借りた。それでも「母校を指導することは、どんな形であってもやりがいがあった」とモチベーションは衰えなかった。

09年の選手権では20年ぶりに決勝進出も0-10。13年は準決勝で0-10、15、16年はともに準々決勝で0-11、0-9と、いずれも青森山田の前に屈した。「山田は五戸とやる時は必ずベストメンバーで来てくれる。ありがたい」。リスペクトに感謝し、大敗しても1つでもいいプレーを褒めると、選手は成長した。

DF榎本叶翔主将(3年)は「伝統に恥じないサッカーをしたい」と闘志を燃やす。父も背負った9番をつけるFW三浦雄真(3年)は「誇りを持って戦いたい」。FW町屋拓(3年)は、父剛さん(48)が出場した89年以来の全国を狙う。「最後まで諦めずに戦いたい」。五戸に憧れ三沢から入学したMF佐々木勇心(3年)は「卒業後も思いを受け継ぎたい」と大学でもサッカーを続ける。全員が五戸魂を胸に秘める。

三浦監督は定年まで時間を残すが、「正直、五戸で終わりたい。どうしてなんですかね。結局、育ててもらったんですよ、町に」と集大成の舞台と決める。昨年は1次予選敗退。7月に行われた総体の代替大会では予選リーグで敗れた。壁はとてつもなく厚いが、63年にわたるサッカー部の歴史の最後に、確かな爪痕を残してみせる。【野上伸悟】