日本サッカー協会(JFA)は10日、創立100周年を迎え、名誉総裁の高円宮妃久子さまら265人があつまって千葉県浦安市で式典を開いた。
この式典には初代Jリーグチェアマンの川淵三郎氏も出席。終了後に取材に対応した川淵氏の主な一問一答は次の通り。
-式典を終えて感じることは
川淵氏 100周年のうち85年は生きていたのかって(笑)。日本サッカーがそれほど盛んでないときから今の時代まですべてを知っているというのは、生きている中では僕くらいがその1人かなと、感慨もひとしお。サッカー界の歴史を自分の人生とともに歩んできたといってもいいんじゃないかな。2005年宣言のときのように、(50年までに)ワールドカップ(W杯)で優勝することは間違いないなと確信を持った。
-サッカーは根付いてきたか
川淵氏 Jリーグを作った時に、スポーツ文化の振興を理念に掲げていた。そのころはスポーツ文化は日本にまだなかったという感じ。スポーツは下の方に位置づけられていて、スポーツに対する国民の認知度はそんなに高くなかった。Jリーグができたとき、地域に根差したスポーツクラブという言葉が世間にまったく通じなかった。そういう意味では、スタートして30年間、地域に根差すという意味を多くの国民に理解していただいて、スポーツを生活の一部となるような雰囲気が積み重なって、今のスポーツ界の発展につながっていると思う。
Jリーグができた時には、日本はスポーツ文化のなかで世界の三流国だと言った。今は一流の手前くらいまできてる。
-次の100年に向けて期待すること
川淵氏 W杯で優勝する常連国になることと、Jリーグに世界の一流選手が喜んできたがるということ。世界の5大リーグはイングランド、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン。これに伍して世界の中で認められること。選手になったた(世界中から選んで)Jリーグでプレーする、ということが僕の将来の夢。
-2005年宣言があって、50年までの歩みはどう感じているか
川淵氏 順調に来ていると思う。6合目とか7合目とか、半分以上は越したと思う。久保選手が期待されてきている。そういう新しいスーパースターが日本で出てこないとも限らない。僕はそういうのは期待している。
-サッカーとはどのような存在
川淵氏 僕にとっては人生そのもの。高校1年生の時の夏休み前に「川淵、サッカーやったら四国の遠征に連れてってもらえるぞ」というその一言で、サッカーのサの字も知らなかったんだけど、四国に行きたいというだけでサッカー部に入って。試合したらすぐ帰ったらやめてやろうと思ったんだけど、何となくやめづらくなって。そのことがなかったら、早稲田にもいってなかったし、代表にもなれなかったし、ましてやJリーグのチェアマンやサッカー協会の会長だとか、誰がが想像したか。サッカーがなければ僕の人生は全く変わったものになったと思う。
-サッカーを普通に楽しめる環境には何が必要
川淵氏 やっぱり設備だよね。いかに多くの芝生のグラウンドを作るかは僕の人生の1つの命題だった。小学校の校庭も、いまは2000校以上が芝。地域社会の中で自由に子供たちが芝生の上でサッカーできる環境が望ましい。イングランドに行くと、芝生の公園があって、芝の根が深くて、いろんな年代の人がサッカーをやっていて、僕も「入らないか」といわれて一緒にそこでやった。そういう環境が日本にできてほしいというのが僕の長年の夢。そういうことではまだまだ道半ば。もっと気軽に楽しめる場所ができればいいなと思う。