浦和阿部勇樹「サッカーしたい思いに差」引退会見に秋山翔吾登壇/一問一答

浦和レッズの元日本代表MF阿部勇樹(40)が埼玉県民の日の14日、さいたま市内のホテルで会見し、今季限りで現役引退すると、自らの口で明かした。

「私、阿部勇樹は2021シーズンをもちまして、プロサッカー選手を引退することを決めました。長きにわたって、応援してくださったファン、サポーター、パートナー企業、日本サッカー協会、ジェフ千葉、レスターシティー、浦和レッズの関係者のみなさま、本当にありがとうございました。本当に幸せなサッカー人生でした」と涙声で話した。

会見の終盤には、かねて親交のあるメジャーリーガーがサプライズ登場。レッズ秋山翔吾外野手(33)が、花束を贈呈した。秋山は「阿部さん、本当に現役生活お疲れさまでした。種目は違いましたけど、いろんな機会、交流をさせてもらって、リーダーとしての姿勢を見せて貰った。僕も終わるところまで、僕も頑張りたいと思います。阿部ファンとして応援しています。お疲れさまでした」とねぎらった。

阿部の一問一答は、以下の通り。

-引退の経緯は

阿部 今年始まった時点である程度、勝負の年、最後の年になると思っていました。でも本来なら、もっと早く引退するべきだったのかなと思います。けれど、サッカーを通じて、いろんな方と出会い、いろんな仲間に支えられ、選手寿命を延ばせて貰ったと思います。40歳の年、誕生日を迎える前までには、いろいろ決めて伝えたいと思い、9月の頭には、クラブには伝えました。もちろん、今もサッカーをしたい気持ちはありますが、1年前のサッカーをしたい思いと、今現在のサッカーをしたい思いに差がある。その差が引退する合図なのかなと考えて決断しました。

-多くの監督の下で指導を受けた

阿部 多くの監督の人に教えてもらった。変わるきっかけと言うか、考え方を変えてくれたオシム氏には感謝しています。何が足らないのか、考えるきっかけを与えてくれた監督。監督の教えは、今も大事にしている。これからも忘れずにやっていく。もう1人、浦和レッズで監督をしていたペトロビッチ監督も、改めてサッカーの楽しさ、面白さを教えてくれました。その2人には、感謝しています。

-千葉、浦和への思いは

阿部 ジェフは育成のころからサッカーをさせてもらって、運良くトップに上げてもらった。身近に目標とする先輩がいました。湘南の監督をやっている山口智さんなどが高校生でもJリーグの試合に出場できる可能性を広げてくれた。頑張れば、僕も出来ると思わせてくれた。本当に思い出としては05年にナビスコ杯を優勝したけど、優勝したことがなく、皆、喜び方が分からないのは懐かしく覚えています。07年から浦和に移籍して、当時加入したのが1人だけ。寂しい、不安という思いもあったけど、多くの選手がサポートしてくださった。中でも、スタッフの方、当時から今現在でも信頼してくれる水上さんには、本当に多く助けていただきました。ミズさんがいなかったら、ここまで長くサッカー出来なかったと思う。この場で申し訳ないですが、感謝しています。レッズ来て、この年齢まで出来ると思っていなかった。いろんな人の助けで、やって来られました。

-10月14日は、07年にACLを優勝した日。埼玉県民の日でもある。この日に引退発表。理由は

阿部 クラブの方に相談していた。なるべく、早く、もっと早く伝えた方がいいのではとアドバイスもあった。個人で、お伝えしたい人にまだ伝えられなかった。自分でもぴったりなのではないかと思って、この日にしました。

-ファンへ

阿部 ジェフ時代から、途中、海外を経験させてもらって、本当に多くの人に応援してもらった。モチベーションとなって、応援していただいた分、返さないといけないという思いでした。悲しい思いをさせたシーズンもありましたけど、毎試合、毎試合笑顔にさせることがモチベーションになっていました。苦しい時に声を掛けてもらったり、倒れそうになった時も、ピッチでよみがえることが出来ました。一緒に、ともに戦っているんだというそういう思いにさせてくれたサポーターの方に感謝しています。

-今後、どういう形でサッカーに携わりたいか

阿部 個人としては、23年サッカーをやらせてもらって、本当に多くの監督に教えてもらい、選手と一緒にサッカーをしてきました。僕は指導者の道へ行きたいと考えています。逆に行かなければ、今まで教えて貰った指導者の方に失礼になる。またその道へチャレンジしたい。

-どんな指導者に

阿部 目標とする監督は、2人の名前を挙げました。どんなに頑張ってもオシム監督やペトロビッチ監督にはなれない。こうなっていきたい目標はありますが、自分がどういう色を出していくか、まねをするではなく、こういうサッカーをしていくんだという考え方を強く持つことが大事になると思う。2人の監督に負けないような指導者になっていけるよう、頑張っていきたい。

-後輩にこういうものを残して欲しい

阿部 浦和レッズは、大きいクラブだと思っている。ただ1つになりきれているか、と言われれば、まだなりきれていない。1つになった時は、とんでもない力が発揮されるといつも思っています。さらに浦和レッズの名がアジア、世界に届くようなっていくことが一番僕が望んでいること。まだまだ選手として、残り1カ月あるので、やれることはやっていきたい。レッズが好きなので、良くしていきたい。関係者が思っているように、考えています。ファン、サポーターの方に一個だけ。いいことも悪いこともニュースになるのが浦和レッズです。選手は、子どもたちが浦和の選手になりたいと思うようにプレーしないといけない。また浦和のファンの応援ってすごいね。僕らも応援したいねって思われるようにならないといけない。もっともっとクラブを大きくするならば、もっともっとそういう人を増やしてもいい。選手もそうですし、一緒に戦ってくれているサポーターの方も、浦和レッズの先を見てやっていければいいかなと思う。こういう状況なので話したり出来ませんが、そういう考え方を持って1つに進んでいければいいなと思います。

-家族とはどんな話を

阿部 サッカーをするにあたって、小学校からサッカーを始めて、両親には、送り迎え、サッカーをする環境を手伝ってもらいました。父は野球が好きだったみたいですけど、サッカーをやって感謝しています。妻、子どもたちにはサポートしてもらって、ここまでやらせてもらいました。いつも、子どもが3人いるみたいって言われているのを覚えていますが。子どもたちも、大きくなって、より一層サッカーを頑張らないといけないと思わせてくれたのが家族。家族の存在がなければ、戦えなかった。

-阿部勇樹とは

阿部 一言で言うと、泣き虫。すぐ泣きますね。小さい頃を知っている方は、泣き虫って言いますね。

-サッカーとは

サッカーを通じて、スポーツを通じて学ばせてもらいました。いろんな人に出会って、意見を交わして、本当に成長させてもらった。サッカーをしていなかったら、今の自分はいなかった。全てをかけて、サッカーをやってきました。好きで、好きでたまらないです。サッカーが。サッカー選手は引退しますが、指導者の道に行って、サッカーを好きな気持ちは続けていきたい。

-浦和がアジアで戦う意味

阿部 なかなか、他の海外のチームと試合をすることはありません。ACLの大会に出ないとそういう機会はない。多くの選手に経験してほしい。今いる選手が経験して、さらに上に行くために必要になる。クラブ全体が大きくなるためには必要なこと。ACLに出て、学べるし、戦っていけるし、いろんな経験が出来る浦和には必要なこと、大事なこと。

-千葉出身で、生え抜きでもないのに、ここまで一生懸命になれた理由

阿部 サポーターの方が、毎試合パワーをくれる。お返しがしたい。選手にとってはプレーを見せることが一番。埼玉スタジアムに来ていただいたサポーターの方に、笑顔で帰ってもらえるモチベーションが常に全力でプレーしなければいけないことを考えさせてくれた。ジェフから育って、そういう教えをしてもらって、浦和に来ても、その教えが生かされていると思う。

-子どもたちへメッセージ

阿部 プロの選手になりたい憧れを持っていると思う。育成年代という下部組織は、すごく大事な存在。先のことを考えて話していくと、浦和の下部組織の選手は練習、試合を見ると、未来につながる選手が多いと感じます。言葉で伝えられることもありますが、見て感じ取ってもらえることが一番伝わるかなと。僕自身も小さい時に、サッカーやりたくないと思ったこともある。辞められない。好きって気持ちがあるから辞められない。サッカー好きだ、楽しいんだという気持ちを忘れずに、子どもたちに伝えたい。

-成し遂げたもの

阿部 出来た部分、出来なかった部分、両方ある。タイトルを取った時に、大勢の方にお見せ出来た。サッカーをやってきて、幸せなこと。全て出来たかというと、そうではない。より高く目標を持てば、出来なかった部分の方が多いかなと。

-心残りは

阿部 ここ最近を振り返っているんですけど、心残りは1つ挙げるとするならば、浦和は昨年から3年計画を立ち上げ、今年で2年目。来年3年目を一緒に戦えたらという考えもありましたが、それが出来ずに申し訳ないと思いました。ただ、僕自身も一緒に戦っている気持ちでやっていきたい。

-オシム、ペトロビッチ監督から言われた言葉で印象に残っている言葉はライセンス

阿部 オシム監督からは、当時から『よく考えろ』と言われました。生かされていると思う。決断しないといけない時に考えろって言葉が印象に残っている。ペトロビッチ監督には、『サッカーを楽しめ』と言われました。自分が楽しめないと見ている人を楽しませられない。

-当時の阿部少年に、こういうサッカー人生を歩むと声をかけるなら

阿部 今言うとしたら、もちろん当時は学校もあるので、『勉強はしっかりしとけ』と、『サッカーの時は、サッカーに集中して』と言いますかね。遊んだり、ゆっくりするのは引退してからといろんな人に言われてやってきた。高校時代の自分には『サッカーを好きな気持ちを持って、集中しろ』って言いますかね。遊びたい気持ちもあるでしょうけど、『終わってから遊びなさい』と言いますかね。

-会見はYouTubeで配信。自分の口で言いたかった気持ちが大きかったのか

阿部 自分が決断して、自分の口からお伝えしたいという方が多くいて、長く戦ってくれたサポーターにも感謝と決断したことはお伝えしたかった。じゃないと失礼だなって。これだけ長く支えてもらって、助けてもらった。その考えはあったので、浦和レッズの関係者の方に協力してもらって、こういう場を設けさせてもらって感謝しています。