セレッソ大阪の元日本代表FW大久保嘉人(39)が、現役生活に別れを告げた。0-2で浦和に敗れ、決勝進出を逃した。観客制限なしで行われ、大観衆の会場で先発。
決定的な場面を作りながら無得点のまま後半19分に交代した。J1歴代最多得点記録(191点)を持つ日本最高の点取り屋に涙はなく「苦しくもあり、最高のサッカー人生でした」と語った。決勝(19日、国立)は初優勝を狙う大分と、浦和の対戦となった。
◇ ◇ ◇
あと1歩が遠い。決勝進出まで、そしてゴールまで。前半41分、大久保に最大の見せ場が巡ってきた。DF松田陸からの右クロス。DFの裏に顔を出し、左足を伸ばす。届かなかったのは、ほんの数センチ、そして花道となるはずだった決勝まであと1勝。序盤には果敢にロングシュートを狙い、劣勢に立たされていた同31分には1人で攻め上がった。得点のにおいはあった。
「素晴らしいスタジアムでできて幸せでした。(決定機が)何本かありましたけど届かなかった。悔しいですけどスッキリしました。長いサッカー人生は、苦しくもあり楽しかった」
振り返ればいつも「あと1歩」にもがいていた。天皇杯は3度決勝の舞台に立ったが全て準優勝。川崎F時代に3年連続得点王になるもチームがリーグ初制覇したのは大久保が去った17年だった。日本ではタイトルとは無縁。ドイツリーグを制したウォルフスブルク時代は控えが主で、優勝決定の試合は39度の高熱でベンチ外だった。C大阪、マジョルカでは「残留請負人」と呼ばれた人は、ふと「俺は優勝請負人にはなれんまま終わるんかなあ」と漏らした日があった。
「勝負の世界には勝ち負けがある。今日はチームとして何もできなかった。(仲間には)優勝できるように応援していると伝えた」
熱くなる性格が故、燃え尽きたことは数知れず。10年W杯、PK戦で散ったパラグアイ戦の夜に家族に引退を伝えている。リーグ4得点に終わった12年末に神戸を退団。あの時も引退がよぎり、最後の働き場として交渉したのはFCソウルだった。日本を離れたかったが家族の説得で川崎Fへ。あの日の決断がなければ得点王にはなっていない。
「もうキツイことはしなくていいし走らなくていい。人生はこれからの方が長い。勉強して挑戦したい」
まだできる。誰もが感じた最後の勇姿だった。輝きを残したまま日本最高のFWは去った。【益子浩一】
◆大久保嘉人(おおくぼ・よしと)1982年(昭57)6月9日、福岡県生まれ。国見から01年C大阪入り。07年以降は神戸、川崎などに所属。2度の海外移籍も経験。川崎で13年から3年連続得点王。J1通算474試合191得点。日本代表として04年アテネ五輪、10、14年W杯に出場。国際Aマッチ通算60試合6得点。170センチ、73キロ。
○…大久保を厳しく育てた母・千里さんは、現役最後の姿に涙を流した。妻・莉瑛さんら家族とともに会場で観戦。母は「ケガをしたり、出れなくなって引退するよりもいい。最後の最後まで(先発で)出してくれて、いい思いをして終われた」としみじみ。さらに「バスで長時間かけて移動した南アフリカ(W杯)や、今日の試合まで思い出は数えきれんほどある。寂しさはこれから出てくるんかも知れませんね」と話した。