日刊スポーツ評論家のセルジオ越後氏(77)が、友人でもあるペレ氏の死去を受け「世界の宝を失った」と悼んだ。
50年以上の親交がある同氏の人間性に触れて「サッカー界だけではなく、社会まで変えた」と強調。世界中で愛された「キング」の魅力を口にした。
僕はもちろんだけど、世界中が悲しんでいる。世界中にスーパースターは数多くいるけれど、彼は特別だった。国や人種や競技の枠を超えた存在。サッカー界だけの話ではない。スポーツ界、社会にとって、ものすごく大事な人だった。
僕にとっては、雲の上の人。それでも、友人として親しく接してくれた。初めて話をしたのは17歳、ペレが22歳のころだった。当時コリンチャンスにいた僕は同じサンパウロ州のサントスの2軍チームでも練習していた。そこで、サントスのエースだった彼に声をかけてもらったんだ。
「サトウ、いいじゃないか」。もともと日系人が多く住む町。サントスのスタッフには佐藤という人がいたから、日系人のことをサトウと呼んだみたいだね。ペレの弟のゼカ(今年3月に死去)は同い年で仲が良かったから、ペレとも仲よくなった。うまかったから何でもマネをしたよ。
エラシコ(セルジオ発案のフェイント)も、半分はペレのもの。彼と(ブラジル代表)ガリンシャのフェイントをマネしているうちに、できたから。練習では一緒にプレーもした。サントスがプロ契約してくれるという話になった。結局コリンチャンスと契約したので、同じチームでプレーすることはなかったけど。
彼は「キング」だよ。世界中を探しても「キング」と呼ばれるサッカー選手はいない。あっ、日本には1人(カズ=三浦知良)がいるけど(笑い)。サッカーがうまいだけの選手は珍しくない。やっぱり、彼の人間性。人間として素晴らしいから「キング」なんだ。
引退した後の社会貢献活動や日本や米国でのサッカーの普及活動、すべてが素晴らしかった。77年に引退試合で来日した時、永大産業(日本リーグ)のコーチだった僕が通訳をした。日本人の勤勉さや礼儀正しさに驚いていたけれど、そこが好きだったんだろう。
あるイベントの時、僕が早めに行こうとしたら「早く行ってはいけない。いい時間があるんだ」と。自分が行動すれば、多くの人に影響を与える。常に周囲に気を使う人だった。どこにいっても人に囲まれ、注目される。それでも、絶対に怒ったり、嫌な顔を見せたりしない。「すごい人だ」といつも思っていた。
引退試合では国立競技場に7万人が集まった。サッカー人気が低迷していた当時の日本では、考えられないことだった。たった1人で7万人。これで、日本協会は財政的に助かった。W杯招致でも日本のために尽力してくれた。ペレがいなければ、今の日本サッカーはないといってもいい。
選手としては、すべてを持っていた。決して大きくはない(173センチ)のに、190センチのDFに競り勝ってヘディングシュートを決める。左右の足が使えて、オーバーヘッドなどシュートも多彩。ある学者が彼の運動能力を調べ「どのスポーツでもトップになれる」と評した。すべてを兼ね備えた選手だった。
貧しい家で育ったアフリカ系移民。差別とも闘ってきた。彼の活躍が多くの人に勇気を与え、差別の撤廃にもつながった。影響力は世界規模。世界中の社会を変えた唯一のアスリートと言ってもいいよ。
故人は対象にならないけれど、彼にはノーベル賞を贈るべきだった。それほど影響力があったことは、間違いない。天国で、ゆっくりサッカーを楽しんでほしい。と思うと同時に、彼の功績は決して色あせない。「キング」はいつまでも人々の心に生き続ける。(日刊スポーツ評論家)