青森山田離れ今季から町田の黒田剛監督「1年でJ1上がってやるという闘志がメラメラと」

12月31日広島皆実戦で、青森山田・正木監督(左)とともに試合を見つめる黒田総監督

高校サッカー界の名将が、一時代を築いた青森山田を“卒業”した。黒田剛総監督(52)は約30年間を過ごした同校を離れ、今季からJ2FC町田ゼルビアの監督に転身。青森山田の一員として臨んだ最後の全国高校サッカー選手権は、8強で幕を閉じたが、3度の選手権制覇に導いた。全国高校総体と高校年代最高峰のプレミアリーグファイナル(旧チャンピオンシップ)も、2度ずつ制しており、計7度の日本一を経験。自身初のJリーグではJ2優勝、J1昇格に挑む。

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黒田総監督が青森山田を去った。雪国から常勝軍団を築き、近年の高校サッカーでは「打倒山田」が合言葉になるほど圧倒的なチームに引き上げた。16年度の全国選手権初優勝から21年度までの6年間で、4年連続を含む5度の決勝進出。「約30年という高校サッカー生活で、もがき苦しんだ時代もあったし、青森山田の時代をつくることもできた。すごく楽しかった」。充実の時間を過ごした。

青森山田の指揮官就任までは紆余(うよ)曲折があった。大学卒業後、地元北海道のホテルに就職も、サッカーに携わる夢を諦めきれずに3カ月で退職。ガソリンスタンドのアルバイト、公立高校教諭を経て94年に青森山田のコーチになり、95年に25歳で監督に就任した。監督1年目は部員18人だったが、現在は中学を含めて300人超。J2町田の監督就任に伴い、昨年10月に教え子の正木昌宣監督(41)にバトンを託した。

青森の冬はグラウンド一面が雪で覆われ、プレーするには厳しい環境だ。それでも「雪はストレスになるけど、ハンディではない」と共存。フィジカル強化にも不可欠な存在で「雪がなかなか降らないとすごく不安を感じる」という。選手権優勝後は「雪中サッカーをやりたい」と各地から練習試合を申し込まれ、「『雪があった方が勝てるのでは?』と思わせるぐらい雪のありがたみも全国に感じていただけた」。雪国でも強くなれることを示した。

人生の半分を過ごした青森から旅立つ決断をした。「離れるのは考えれば考えるほど涙しか出ませんが、後悔はない」。Jリーグは「1年でクビの世界」とリスクは重々承知。「自分自身がある程度結果を出すことで高校サッカーで夢を抱く指導者の目標になり、チャレンジする人が1人でも増えたり、高校サッカーの監督たちの価値を上げることにもなる」。強い覚悟を持って新天地に向かった。

最後の選手権は準々決勝で敗退し、有終の美は飾れなかった。「絶対に町田で1年で(J1に)上がってやるという闘志がメラメラとわき上がった。『俺たちが教わった黒田監督はここまで勝負できるんだ』と証明したい」と力を込める。

大きな野望もある。「雪国から出てきた指導者として、やっぱり全国を取りたいし、J1にも行きたい。あわよくばね、さらにという。映画化されるぐらいはしたいですよね(笑い)」。高校サッカー界の名将から町田の新米監督に立場は変わるが、青森山田の“卒業生”らしく“常勝”にこだわる。【山田愛斗】

◆黒田剛(くろだ・ごう)1970年(昭45)5月26日生まれ、札幌市出身。登別大谷(現北海道大谷室蘭)-大体大。94年に青森山田のコーチに就任し、95年から監督を務める。23年からJ2町田の監督に就任。全国高校総体は05、21年に優勝。全国高校選手権は16、18、21年度に優勝。プレミアリーグEASTは16、19、21年、同ファイナル(旧チャンピオンシップ)は16、19年に優勝。尊敬する人物は元日本代表監督の岡田武史氏。家族は夫人と1男1女。血液型O。