【町田】教訓は“悲劇感” 青森山田高からプロ転身1年目でJ1昇格させた黒田剛監督、勝つために

熊本対町田 J1昇格を決めた町田黒田監督(左から2人目)は太田ら選手と歓喜の輪を作る(撮影・江口和貴)

<明治安田生命J2:ロアッソ熊本0-3FC町田ゼルビア>◇第39節◇22日◇えがお健康スタジアム

町田ゼルビアがクラブ史上初のJ1昇格を決めた。

敵地で熊本に3-0。勝ち点78で3試合を残して自動昇格圏内の2位以上を確定させた。4月16日から首位を独走した黒田剛監督(53)は、日本一7度の青森山田高からプロ転身1年目で東京に新たなJ1クラブを誕生させた。節目に日刊スポーツの取材に応じ、懐疑的な周囲からの重圧と不安、高校サッカー界の名将として失敗できなかった覚悟を激白。ホーム最終戦となる次節29日の金沢戦で勝てばJ2優勝も決まる。

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澄んだ秋晴れの空へ、黒田監督が力の限り両拳を突き上げた。歓喜の渦に吸い込まれ、円陣で跳びはね、教え子たちと抱き合った前教員は、うれし泣きに震えた。「この1週間、生きた心地がしなかった。歴史を塗り替えることができてうれしい」。中学時代から指導するMF宇野の強烈ミドルから始まり、3得点。夢をつかんだ。

指揮官は短くつぶやいた。「唯一した仕事といえば、伝えること」。Jクラブのどの指導者にもない、教育者というキャリア。第一線に君臨し続けた高校監督のそれは「悲劇感」の言葉に集約されていた。よりどころとした堅守で、36節まで最少タイの27失点。ただ昇格が見えてから、前節まで3戦で7失点。ある者は油断、ある者は重圧で、できていたプレーができなくなっていた。「負けてきたチームの感覚が出ていると感じた」。つかみかけたものを、自ら手放しかねない。負けた日のあとのミーティングで、選手に言い続けた。

「次負けたら、下のチームに1試合差まで詰められるぞ」

追われる者の大きな敵は、焦り。浮き足立つ前に、昇格を逃す最悪の「悲劇」をチームに想定させ、油断を排除した。

青森山田時代、高校選手権の初優勝まで22年。その間、初戦敗退から準優勝まで全てを経験した。戦後最多4年連続決勝進出の偉業も、実は2勝2敗だった。酸いも甘いも知った経験から「優勝するチームと準優勝のチームのマネジメントはまったく違う」と言い切る。高校生活の28年間が凝縮された、勝つための教訓が「悲劇感」だった。

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山田では日本一7度。中高で330人を統率してきた。しかし、プロでは-。話題先行、懐疑的な目は承知の上だった。

「世間一般もそうだし、自分も不安と期待の中をさまよいながら町田に来た」

就任の打診を受けた時は、不安で「2、3年はコーチ?」と聞いた。

勝ち気に見えて「毎日しっかり寝られることはなかった」と打ち明ける。2位との勝ち点差は、得失点差は-。首位にいても、変わらない順位表を2時間おきに携帯で見ている自分がいた。「毎週、選手権の決勝を戦っているような気分」に押しつぶされそうなときもあった。

だがこれも、プロの選んだ理由だった。「俺が挑戦しなくて、誰が高体連から歩みを進められるのか」。21年度に高校3冠を達成した時、ぽっかりと心に穴があいた。学校に残れば定年まで13年。校長や理事長にもなれていただろう。盤石の地から「1年で切られる」Jの世界へ。通用しなかった先人も見てきた。高校の監督なんて、しょせん-。そんな見方だけは許せなかった。

「だからこそ、全国の先生方の名誉と価値を上げるため、自分がやらないとダメだと言い聞かせてきた。我々が日本のサッカー界にどれだけ尽力してきたか」

輩出したJリーガーは鹿島柴崎や東京松木ら65人。たばこどころか「時効でも言えない」ほど素行が悪かった時代に、いびつな台形の練習場で18人の部員と雪国で歩み始めた。「アマチュアだけど意識はプロ」。Jリーグの監督に必要なS級ライセンスも36歳だった06年に取得。今日の勝利で、指導者人生が「無駄じゃなかった」と思えた。

プロ監督のやりがいとは。J1への道を切り開いた今も、答えはまだない。「ただただ目標に対して妥協と後悔がないようにやってきたから。すべて終わったときじゃないと出てこない感情かもしれない」。振り返るには早い。リーグ優勝という目標が残っている。【岡崎悠利】

◆黒田剛(くろだ・ごう)1970年(昭45)5月26日、札幌市生まれ。登別大谷高-大体大。ホテル就職やガソリンスタンドのアルバイト等をへて94年に青森山田高のコーチ就任。95年から監督。00年から22年に勇退するまで県内388連勝。高校総体2、選手権3など日本一7度。育てたJリーガーは柴崎岳、松木玖生ら60人超。尊敬する人は元日本代表監督の岡田武史氏。家族は夫人と1男1女。168センチ。血液型O。

◆FC町田ゼルビア 77年、町田市サッカー協会が小学生を強化するため設立した「FC町田トレーニングセンター」のトップ部門として89年発足。98年、現クラブ名に改称した。ゼルビアは市の樹ケヤキ(ゼルコヴァ)と花のサルビアから。08年JFL昇格。12年J2昇格。18年10月にサイバーエージェントが経営権を取得し、過去最高4位。翌19年にJ1ライセンス承認。22年に藤田晋社長がクラブの社長兼CEOに。今年からメインスポンサーとなり黒田監督らを招く。クラブカラーは青。ホームは町田GIONスタジアム。

【動画】町田J1初昇格!黒田剛監督は両腕突き上げた 歓喜イレブンも輪になって両腕突き上げた