【こんな人】引退決めた鮫島彩、答えのない葛藤を抱え続けた道のり…あの時伝えてくれた思いは

日本対カナダ 後半、懸命にボールを追う鮫島(2012年7月25日)

<こんな人>

サッカー女子日本代表なでしこジャパンの11年女子W杯ドイツ大会優勝メンバーで、WEリーグ大宮アルディージャVENTUSのDF鮫島彩(36)が、今季限りで現役を引退することを発表した。

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電話越しの声がこわばっていた。

「このような記事では、出してほしくありません…」

東京五輪・パラリンピックを1年後に控えた19年3月11日を前に「復興五輪」の特集記事を組んでいた。

東日本大震災が発生した当時、東京電力福島第1原発に勤務しながら、なでしこリーグ「東京電力女子サッカー部マリーゼ」の選手としてプレーしていた鮫島彩(19年当時はINAC神戸所属)のインタビュー記事だった。

震災直後の11年W杯ドイツ大会で、なでしこジャパンを初の世界一に導いた立役者は、8年が経過したこのときも日本代表に名を連ねていた。

「復興五輪」を掲げていた東京五輪。そこを目指すアスリートで鮫島ほど震災被害の中心に身を置いていたトップ選手はいないと、取材を申し込んだ。

震災前からマリーゼを取材していたことから応諾はしてくれたが、いざ取材日を迎えても「何を話していいか答えが見つかりません」と追い詰めてしまっていた。

原発事故で生活していた地域は一変した。被災者と事故の当事者側-。この葛藤からか取材中、何度も口を突いた言葉があった。

「自分はその立場にありません」

住んでいた福島に対する思いを聞いても、アスリートとして復興五輪に向き合う気持ちを問うても、そう繰り返した。

同時に強調したのはシンプルな姿勢だった。

「勝利を求めて本気で戦う。そのための準備をする」

その上で「仮にそれを被災者の方々が見て共感していただけたら、少しだけ役に立てるのかなと思います」と控えめに言った。

テーマの性質上、紙面化する前に、本人に内容を確認してもらうと、見出しや記事の修正依頼が入った。スマホから聞こえる声はこわばり、いささか震えていた。

「先頭に立って復興五輪を発信する鮫島彩」。そんな安易なテーマに落とし込んでしまっていた記者の力不足だった。

「復興五輪」に向かうこととは、アスリートとしての役割に徹する。それ以上でも以下でもない。脚色もストーリーもいらない、彼女が伝えたかったことはシンプルだった。後にも先にも鮫島から記事修正の依頼が入ったことはない。

コロナで1年延期した東京五輪の聖火リレーはマリーゼの本拠地だったJヴィレッジでスタートし、W杯優勝の「なでしこジャパン」が記念すべき第1走者となった。鮫島もその1歩を刻んだが、本大会では代表入りを逃しピッチに姿はなかった。

振り返ればW杯優勝、国民栄誉賞、ロンドン五輪銀メダル、INAC神戸における黄金時代と輝かしい。

一方で、答えのない葛藤を抱え続けた道のりでもあったことも引退に際し、記したかった。【三須一紀】

元なでしこジャパンの大宮DF鮫島彩が現役引退「素晴らしいサッカー人生」11年女子W杯優勝>>