関東1部(5部相当)南葛SCの元日本代表MF稲本潤一(45)が4日、都内で会見し、今季限りで現役引退すると発表した。
99年ワールドユース(現U-20W杯)ナイジェリア大会で準優勝した「黄金世代」。自国開催の02年W杯日韓大会では2得点し、日本の初勝利と16強に貢献した。01年に入団したアーセナルで日本人初の欧州チャンピオンズリーグ(CL)デビュー。フラム時代のプレミアリーグ出場や欧州公式戦でのハットトリックも、日本人の先駆けだった。今後は指導者の道を歩むという。
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会見に先立って、稲本は黄金世代(79年度生まれ)のLINEグループにメッセージを送った。盟友へ「これからも、おのおのの場所で刺激し合いながら。死ぬまで、この関係が続くのかな」と引退を報告した。
直後、堅苦しくしたくないという本人の希望で、銀座のラウンジに登場。世代の高原直泰や、小野伸二ら02年W杯メンバーで最後となる決断を下し、スパイクを脱いだ45歳は「28年間やってきたけど『やり切った』って感覚が今の自分の正直な気持ち」と納得した。
G大阪の下部組織から97年にトップ昇格。当時Jリーグ最年少の17歳6カ月でデビューした。99年ワールドユースと01年コンフェデ杯で準優勝。02年のW杯日韓大会では初戦でベルギー相手に一時勝ち越し弾を決め、続くロシア戦で決勝ゴールを挙げた。国内スポーツ中継史上最高のテレビ視聴率66・1%を記録した一戦で、日本のW杯初勝利と初決勝トーナメント進出を引き寄せた。金髪、得点後の歓喜も含めて大会の象徴的存在となり「インパクトという意味では、あの2ゴールはすさまじいものがあったのかな」と回想した。
その前年、イングランドのアーセナルへ。22歳の01年9月に欧州CL出場を果たし、W杯後に期限付き移籍したフラムで世界最高峰プレミアリーグのピッチに立った。02年インタートト杯ではハットトリック。全て日本人初の快挙だった。
06年W杯ドイツ大会に向けたジーコジャパンでは中田英寿、中村俊輔、小野と「黄金の中盤」を形成。10年南アフリカ大会の岡田ジャパンでも重宝され、W杯3大会連続出場。国際Aマッチ通算82試合5得点の成績を残した。ブンデスリーガのフランクフルトでもプレーした後の10年、川崎Fで国内に復帰。札幌、相模原を経て22年から「キャプテン翼」の作者、高橋陽一氏が代表を務める南葛に在籍。プレミアから国内5部相当まで経験したが「環境は違えどボールは1つ。何物にも代えがたい体験で楽しかった」と振り返った。
今季は既に兼任コーチを経験。今後も芝の上で生きていく。「現場から離れるのは寂しいので。たぶん指導者の道に行くと思います」。すがすがしく笑った。
◆黄金世代 MF小野伸二(札幌)MF遠藤保仁(磐田)GK南雄太(大宮)が昨季限りで現役を引退したことで、Jリーグでプレーする99年ワールドユース(現U-20W杯)ナイジェリア大会の準優勝メンバーはピッチを離れた。現役選手として今季もプレーしたのは関東1部リーグの稲本とFW永井雄一郎の2人だけだった。永井は埼玉県社会人リーグのクラブの選手兼監督を務めていたが、今季限りでチームを離れることが発表されている(去就未定)。また、稲本が引退を発表したことで、02年W杯日韓大会だけでなく、06年ドイツ大会の日本代表メンバーも23人全員が現役を退いた。
▽同じボランチとして日本代表でプレーしたG大阪の遠藤保仁コーチ ガンバから海外に行っても活躍して、同世代のトップを走っていた選手。けがもあったと思うが、長い時間活躍して、素晴らしい選手だった。体の強さや、ボールを前に自分で運べるところ、寄せるタイミングや強さというのはイナの特長。隣で一緒にやることもあったが、非常に頼りがいのある選手だった。40代でプレーできるのは本当に幸せなこと。カテゴリーは違えど、活躍するのを見たり聞いたりすると励みになった。走れない選手が使われない時代の中で、この年齢までやれたというのは、彼自身もサッカーを楽しんで、努力していたということだと思う。
◆稲本潤一(いなもと・じゅんいち) 1979年(昭54)9月18日、大阪府出身。渡欧後はウエストブロミッチやガラタサライ、レンヌでもプレー。日本代表はシドニー五輪8強など。公式戦通算529試合29得点。181センチ、77キロ。利き足は右でサイズは28・5センチ。