日本サッカー協会(JFA)は16日、日本サッカー殿堂入りした元日本代表の井原正巳さん(57)らの掲額式典を都内で行い、井原さんはビデオメッセージで思いを伝えた。
韓国・水原三星でコーチを務めるため、式典を欠席したが、「本日はこのような名誉ある日本サッカー殿堂に迎えていただき心より感謝申し上げます」と話した。
9歳でサッカーを始めてから夢中でボールを追いかけ、そのままサッカーに人生をささげてきた。「みなさまのおかげで、この栄誉を賜れたと思っています。本当にありがとうございました」と改めて感謝した。
筑波大時代から代表入り。中でも93年の「ドーハの悲劇」は強く記憶に刻まれている。94年ワールドカップ(W杯)米国大会をあと1歩のところで逃した。「その経験があったからこそ今の日本サッカーがあるのではないか」。
主将として次の98年W杯フランス大会で初出場。「そのピッチに立てたことは自分のサッカー人生の中でも最高の宝物になっています」と浸った。「アジアの壁」と呼ばれ、長く代表の最終ラインを支え、国際Aマッチは122を記録した。
現役引退後は指導者として後進の育成に励む。現在は海を渡って韓国でコーチ業にいそしむ。「まだまだ日本サッカーのために少しでも力になれるように精いっぱい努力して参りたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします」とした。
【コメント全文】
本日はこのような名誉ある日本サッカー殿堂に迎えていただき心より感謝申し上げます。私は現在韓国の水原三星でコーチをしているため、本日はそちらの会場に伺うことができません。申し訳ありませんがメッセージにてごあいさつをさせていだきます。
私は9歳でサッカーを始めその楽しさ、魅力にひかれ、ひたすらボールを追いかけ、サッカーに人生をささげてきました。多くの仲間、そして指導者のみなさま、家族、サポーター、関係者のみなさまに支えられここまでやってくることができました。そのみなさまのおかげで、この栄誉を賜れたと思っています。本当にありがとうございました。
日本代表時代に時間を振り返ってみますと、20歳で初めて代表に選ばれ、約11年間日本代表に関わることができました。1993年のドーハの悲劇では、その悔しさ、今でも覚えています。その経験があったからこそ今の日本サッカーがあるのではないかと思っています。また98年のフランスワールドカップ予選では苦しみながら勝ち抜き、初出場を決めました。本大会でそのピッチに立てたことは自分のサッカー人生の中でも最高の宝物になっています。また指導者になった今もまだまだ日本サッカーのために少しでも力になれるように精いっぱい努力して参りたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。本日はありがとうございます。