サンフレッチェ広島は16日、初代総監督だった今西和男さんが同日未明に肺炎のため死去したと発表した。85歳だった。
今西さんを取材したのは24年12月。その年にオープンしたピースウイング広島で行われたレジェンドマッチでのことだった。試合前に登場し、力強い声で「みなさんこんにちは! サンフレッチェ広島、初代総監督の今西和男です」とあいさつ。「今日はたくさんの方にご来場いただきありがとうございます! 今日は大いに楽しんでください!」などと呼びかけて会場を盛り上げていた。
当時83歳。すでに高齢だったこともあり、声の張りに驚いたのと同時に、ピッチ上に並んだかつての教え子たちの背筋が伸び、観客たちから大歓声で迎えられた様子から、広島における今西さんの偉大さを強く実感した記憶がある。
試合後、今西さんは愛弟子でもある日本代表の森保一監督(57)についてこう評した。「はっきり言って上手じゃなかった。プレーはね」と割らせつつ「だけど、ひたむきに頑張る。それで先頭に立って試合をするという姿勢はなかなかまねできませんね」と懐かしんだ。そして「『お前よく頑張るな』といったら『いや、僕はね、サッカーそんなに上手じゃないから、倍動いて頑張ります』ということを言ってくれましてね」と笑顔で振り返っていた。
森保監督は選手時代、セカンドボールの回収や汚れ役を買って出る気の利くボランチとして重宝され、日本代表まで上りつめた。指導者としても愚直に目の前の一戦に最善の準備をし、全力を尽くす。選手、スタッフから信頼されるひたむきな姿勢は当時から変わらなかったのかもしれない。
今西さんは93年Jリーグ開幕時のサンフレッチェ広島総監督。前身のマツダ時代も含めて広島のサッカーを作った存在といっても過言ではない。森保監督をはじめ、風間八宏、高木琢也、久保竜彦ら「今西チルドレン」が日本サッカー界を支えてきた。
報道陣への感謝を繰り返していたのも印象深い。「サッカーの中で育った人間ですから。特に私は昭和16年生まれですからね、5、6歳の時に原爆で被爆しているんですよ。だから、スポーツは、無理なことはせん方がいいよということを言われた」と原体験を語り「広島に対してふるさとに対する感謝、それはやっぱりなかなか伝えることができない。それをテレビ、ラジオ、新聞で、報道されたことについて本当に感謝しています」とほほを緩ませながら話した。
戦後日本のスポーツ界は野球が引っ張ってきた側面が強い。特に広島にはカープがあり、根強い人気を誇ってきた。今西さんは、うまくメディアを巻き込んでサッカー熱を高めた。マツダ時代から、選手たちを社内の教育訓練部という社員教育をする部署に送り込み、話し方教室のような形で取材に応じるトレーニングを行ったという。
「やっぱり慣れなんですよね。何回かやってるうちに、本当に心から、自分たちがこの場で話させてもらえることで、ちゃんと私たちの日頃から考えてるメッセージを伝えることができて、ありがとうございますというようなことを、みんながお礼を言うようになった。広島県民、市民の皆さんが、特にカープに引き続き、サンフレッチェも応援しようという風土ができたこと、本当に今も感謝してます。この応援が、どれだけその選手の励みになったか」
広島がリーグ優勝3度の強豪になり、教え子の森保監督が日本代表を世界トップ基準まで引き上げた。日本サッカー躍進の原点をたどれば、今西さんにたどり着く。【佐藤成】