岡田武史をかばった犬飼会長の言葉/犬飼元会長1

犬飼基昭会長(奥)と岡田武史監督(2010年6月12日撮影)

<言葉の中に見えたもの ~W杯南アフリカ大会を戦って~(1)>

 ワールドカップ(W杯)まで約2カ月のタイミングでハリルホジッチ監督が突然解任され、緊急避難的に西野ジャパンが結成された。準備期間もなく、初戦コロンビア戦(日本時間19日午後9時、サランスク)は目前に迫る。自国開催の2002年W杯日韓大会をのぞき、海外開催のW杯では10年南アフリカ大会での岡田ジャパンだけが唯一、1次リーグを突破している。当時、最終責任者としてチームを支えた犬飼基昭元日本サッカー協会会長(75)が日刊スポーツに特別寄稿した。日本代表の苦戦必至が叫ばれる今、チームが浮上する鍵はどこにあるのか。犬飼元会長の南アフリカ大会での経験を元にした「言葉の中に見えたもの ~W杯南アフリカ大会を戦って~」を3回連載する。

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 今の日本代表チームをめぐっては、監督交代の混乱、国際親善試合ガーナ戦、スイス戦での不調など、さまざまな批判、意見が噴出しています。

 私は、日本代表が苦難の道にある今だからこそ、日本サッカー協会会長という重責を担った経験者として、日本のサッカーファン、スポーツを愛する皆さん、そしていい時も悪い時も長きにわたり日本サッカーを支えてくださった企業の方々へ、伝えたいことがあります。同時に、コロンビア、セネガル、ポーランドと正々堂々と戦う選手たちを、しっかりと見ていただきたいと願わずにいられません。

 私が経験した南アフリカ大会での出来事を伝えることで、今も懸命に調整する代表チームのことを、皆さんが深く知るきっかけになれば、これほどうれしいことはありません。

 南アフリカ大会前も、今回と同じように期待よりも失望の方がはるかに上回っていたと記憶しています。壮行試合や、その後の強化マッチではW杯本大会での活躍を予兆する内容は得られませんでした。非常に大きな批判と国民の失望の中でW杯に入り、カメルーン、デンマークに勝利してベスト16に進出しました。それまでの落胆が大きかったからでしょうか、その後のファンの皆さんの盛り上がりは忘れることができない光景として、今も鮮明に覚えています。

 オシムさんが急病に倒れ、岡田監督は緊急事態として07年の12月に代表監督に就任していました。私が08年7月に日本サッカー協会会長に就任した時は、すでに岡田監督が指揮を執っていました。ですから、岡田監督を指名したのは私ではないことについて、メディアにはよく質問されました。これに関しては、私が人選にかかわっていようがいまいが、私が就任した時の監督を、その後の行動や言動を良く観察し会話を重ねた上で会長として信頼し、そして責任は私が負う、そういう思いでおりました。

 W杯が近づくにつれ、成績いかんで厳しい批判にさらされると、雑談の中でメディアに言われたこともありました。それが会長の職責です。そうした指摘は当然であり、何とも思いませんでした。

 アジア最終予選を突破し、W杯での組み合わせが決まったあたりから、徐々に代表チームへの注目、プレッシャーが増していきました。そして、岡田ジャパンはなかなか試合に勝てなくなりました。

 2010年5月の壮行試合では韓国に0-2で敗れました。試合後、私が監督、選手、スタッフをねぎらうために出向いたロッカールームの隅で、岡田監督は私を真っすぐに見据えて切り出してきました。「僕でいいんですか?」。その時の岡田監督は迷っている、悩んでいる、そういう印象でした。その場には岡田監督と私、そして私の後ろには選手をねぎらいに来られた高円宮妃久子さまの3人だけでした。私は、即座に「いいんだ、監督を続けろ」と続投を指示しました。

 その時、岡田監督からほっとした空気を感じ取りました。協会会長が続投を明言することで、岡田監督も覚悟が決まります。あとは最終責任者の私の問題になります。顔は憔悴(しょうすい)していましたが、言葉に出したことで幾分でも心が休まったようでした。

 私は日ごろから岡田監督とよく話をしてきました。スタッフミーティングなどで協会に来た時は、必ず会長室に呼び2人で話をしました。その会話の中から、岡田監督が代表選手の気持ちをきちっとつかまえていると感じていました。表現が下手な部分もあり、岡田監督の考えが正確に伝わらない選手もいたとは思いますが、その根底にあるのは選手を理解しよう、チームをつくっていこう、という情熱でした。

 私がすぐに岡田監督の続投を指示したのには根拠がありました。日本代表はアジア最終予選では出場権を獲得しましたが、アジアを圧倒したサッカーではW杯では通用しない。それを岡田監督はよく理解し、世界のサッカーの最先端を研究していました。その知見をもって、日本代表がW杯で勝負ができるためのチームつくりをしていました。強化マッチの狙いも明確にしつつ、いくつかのオプションを用意しながら、チームに一体感が出るように、選手をよく見て、組み合わせを考えていました。

 ですから、壮行試合や強化マッチで負けが続いていましたが、私の中では勝敗よりもチームが醸成していくことの方が重要でした。

 それでも、世の中は試合で負けることを許しません。メディアを中心に日本代表はとてつもない批判にさらされていました。それこそ、岡田監督の人格を否定するような報道も散見されました。あれだけイヤなことを言われながら、ひたすら選手を見て、世界の最先端のサッカーを研究し、打開策を模索する岡田監督を、私はかばってやりたいと思っていました。同時に、日本のサッカーのためには何が一番いいのかと、それだけを考えていました。

 人間同士のやりとりというのは繊細なものです。お互いの人格は違う、その中で意志を通わせるためには人間力が必要になってきます。自分の価値観だけを押しつけても、相手の本音を引き出すことはできません。私という人間を理解してもらいながら、岡田監督の心の奥底にしまっているものを感じ取る、そういう感性が必要であったと思います。

 韓国との壮行試合で敗れた時、岡田監督は私に本音をさらけ出したのです。「僕でいいんですか?」の言葉の真意を私は自分の解釈として瞬時にくみ取りました。「いいんだ。監督を続けろ」。それは岡田監督の負担を少しでも軽くしてやれると思って出た言葉です。それを岡田監督もあうんの呼吸で察したと思います。今後、どれだけ批判されようが、岡田ジャパンで南アフリカで勝負する、その決意はさらにゆるぎないものになった瞬間でした。

【元日本サッカー協会会長・犬飼基昭】

(つづく)