悪童ディウフ氏を直撃 後継者マネと日本戦予想語る

取材に応じた02年W杯のエースFWディウフ氏(撮影・木下淳)

 セネガルのレジェンド、元代表FWエルハジ・ディウフ氏(37)が21日(日本時間22日)、日刊スポーツの電話取材に応じた。02年ワールドカップ(W杯)日韓大会で初出場ベスト8の快挙を遂げた時のエース。当時主将で同僚だったシセ監督、自身を「憧れの存在」と公言する後継者FWマネについて語り、次の日本戦はセネガル優位と予想した。【取材・構成=木下淳、松本愛香通信員】

 歯に衣(きぬ)着せぬ発言で「悪童」と呼ばれたディウフ氏は今、セネガル大統領府の特別顧問を務めている。引退後、スポーツや社会福祉関連の政治活動に軸足を置き、先月24日に首都ダカールの大統領宮殿であった国旗授与式にも招待された。代表を激励し「ロシアまで応援に行く」と約束していた通り、初戦ポーランド戦を現地観戦した。

 「まず(2-1の白星発進に)おめでとうと言いたい。だが、立ち止まってはいけない。日本も勝った。もう勝ち点4では突破できない。日本はとても厳格なチームだ。(西野)新監督が集めたベテラン、特に香川、本田が違いを見せられる存在。次はファイナル」と早くも決勝戦に例えた。

 セネガル史上最高の選手だ。02年W杯アフリカ予選。2度のハットトリックを含む最多9得点で初出場に導いた。本大会では開幕戦で前回王者フランスから金星を挙げ、90年カメルーンのアフリカ記録に並ぶベスト8。「初めてのW杯で誰も調整法が分からず、アジアも初めて。時差ぼけで昼夜逆転して苦しんだ記憶しかない」と笑い飛ばしたが「夢だったから大会が始まれば夢中だった。偉大なこと、成功以上のこと、荘厳なことを成し遂げた」。ディウフ氏は無得点だったものの、驚異的な身体能力で好機を演出。全5試合に先発し「最大の発見」と称賛された。その活躍で、04年にFIFA創設100周年を記念してペレ氏が選んだ「偉大なサッカー選手100人」に、アフリカ勢でカメルーンのミラ、リベリアのウェアらと名を連ねた。

 日韓大会では主将で現監督のシセ氏と同僚だった。「穏やかで物静かな先輩だった。正直、我々には問題ある選手もいたが、彼がチーム内で問題を起こしたのを見たことがない。だから主将だった。彼は勝者だ。大会最年少監督(42歳)で学んでいる最中だが、成功してほしい」と期待した。

 現エースFWマネは「僕のアイドルはディウフ」と公言し、10歳で見た02年大会から憧れてきた。今も「夢を見せてくれたディウフと同じように、私もセネガル国民に喜びを与えたい」と話す。そんな後継者に対し、ディウフ氏は「余計な重圧はかけたくないが、スターなら勝利に導かなければならない。ポーランド戦は、そこそこのプレーをしたが、ここから調子を上げないと。偉大な選手は、偉大な試合をした時に急激に化ける」と持論を語った。

 能力については「世界レベル。ものすごく速く、どんなDFも不安定にする。有り余る才能があり、私を超えられる存在。世界のトップ3、4に入るだろう。ロナルド、メッシは対象外だが、サディオ(マネ)は2人を、くすぐることはできるだろうね」と独特の表現で、お墨付きを与えた。

 アフリカ勢は既にエジプトとモロッコが1次リーグで敗退。チュニジアも初戦を落とし、勝ったのはセネガルだけだ。「セネガルは今や、アフリカ大陸の期待も背負っている」。今大会も旋風を再現できるか。過去最高4強へ「次の試合、勝つのはセネガルだ」。そう断言して電話を切った。

 ◆エルハジ・ディウフ 1981年1月15日、セネガル北部サンルイ生まれ。14歳で渡仏し、98年に同国1部ソショーでプロデビュー。レンヌ、ランスを経て02年W杯後にリバプール。ジェラードと犬猿の仲で有名。ボルトンで中田英寿と同僚だった。01、02年のアフリカ年間最優秀選手。日本とは01年10月の対戦で1得点。代表通算69試合22得点。180センチ、75キロ。夫人、2女とダカールを拠点に活動。将来的に大統領就任を目指している。