本田圭佑が代表引退「活躍した若手に」優勝の夢託す

日本対ベルギー 後半、FKでゴールを狙う本田(撮影・PIKO)

<ワールドカップ(W杯)ロシア大会:日本2-3ベルギー>◇決勝トーナメント1回戦◇2日(日本時間3日)◇ロストフナドヌー

 MF本田圭佑(32)が日本代表での戦いを終えた。ずっと「優勝」と掲げて臨んできた3大会連続のW杯。ラストマッチは、2-2の後半36分から途中出場。終盤惜しい直接FKもあったが、ロスタイムに蹴ったCKから相手のカウンターが決まり、敗れた。試合後に「おそらくこれで自分の代表のキャリアが終わる」と区切りをつけると示唆。4年後のW杯カタール大会を目指す思いはなく「ずっと発言してきた優勝というものを、今日活躍した若手に受け継いでもらいたい」とバトンを託した。

 人生はいつだって、そううまくはいかない。強運を持ち、たくましくうつる本田でもそうだ。W杯では、出場した3大会連続でゴールとアシストを決めた。うち2度は決勝トーナメントに進出。「W杯に愛された男」と盟友の長友に命名されたが、そのW杯の最後は厳しいものになった。2-2の同点で試合を決めに出た。ロスタイムの無回転FKは決まらず、その流れで蹴った最後の左CKをGKに難なくキャッチされた。これを起点にカウンターから失点し、敗れた。

 「おそらくこれで自分の代表のキャリアが終わる」と試合後に言った。4年後のW杯は目指さない。このまま代表から身を引き、後輩たちに思いを託すことになりそうだ。「これがW杯、僕自身最後になる。ずっと発言してきた優勝というものを、今日活躍した若手に受け継いでもらいたい。受け継いでもらえるんじゃないかなと思うので」

 どこか吹っ切れたようだった。試合終了の瞬間、ピッチに突っ伏す仲間に寄り添い、ねぎらって回った。4年前、1勝もできなかったブラジルでの最後は、まだ試合が終わっていないのに膝に手をやって負けを受け入れ、うなだれていた。「W杯優勝」と言いながら3度とも迫ることさえできなかったが、仲間とともに夢を追って最後の挑戦を終えられた。

 このW杯で人生が終わるという想定を自らに課し、そう思い込ませ、日々を過ごしてきた。声を掛け、気を使い、控えの立場も受け入れ、それでいて途中出場で1得点1アシスト。すべてはチームのために。「本当に選手のみんなを好きになった。こんなに好きになれると思わなかったくらい」。近寄りがたい面もあった本田圭佑というサッカー選手は確かに「W杯に愛された男」だった。しかし縁の深いロシアで、最後に素の人間として「仲間を愛し、愛された男」になって、終えた。

 人生がいつだってうまくいかないと気付いたのは14年ごろ。W杯ブラジル大会の前だった。オーバーワークで体に異変が起き、手術も受けた。この件について何を聞かれても「墓場まで持っていく」と一切誰にも語ったことがない。ただ、このころポツリと「俺はやればやっただけ、うまくなると思ってずっとやってきた。でも、体が悲鳴をあげた」と漏らしたことがある。1人で突っ走ることができなくなった。その代わり、この4年で周りの助けも借り、ともに歩く楽しさも知った。

 究極の願いは「W杯優勝」から「世界平和」へ。ここからは共生の道をゆく。所属クラブとの契約は切れ、フリーの立場。W杯がすべてで、そのために32年間生きてきた。次のW杯がないとなれば、サッカー選手でいる必要がなくなるかもしれない。「4年後はみられない。今、言えることはそれだけです。しっかり整理しなきゃいけない」。

 人生はうまくいかないが、それでも続いていく。サッカーだけが、人生でもない。【八反誠】