甲田光、モウリーニョの言葉信じスペインで夢を追う

スペインでプレーする甲田光

あれは天の声だったのか、それとも、悪魔のささやきだったのか-。

新型コロナウイルス感染拡大で世界は大きく変わった。スポーツ界も、大打撃を受けた。

知恵を絞って、すでに野球やサッカーはウィズコロナの新様式で何とか再スタートを切った。だが、それはひと握りのトップカテゴリーの話で、今も活動のメドが立たず、苦境に立たされている選手は多い。

スペイン1部での活躍を夢見て、同国4部相当のモラタラスという首都マドリードのクラブを拠点とする21歳の甲田光は、日本で自主トレーニングを続けている。

現在所属する期限付き移籍先の下部チームがあるマドリードも3月に感染が拡大。ロックダウン(都市封鎖)の流れとなり、チームも活動中止。何とか航空券をおさえ、3月中旬に日本の家族のもとへ戻った。

まったく先が見通せない状況で、8年以上暮らすスペインから“脱出”ともいえる形の、ギリギリの決断だった。

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もう3カ月半たつが、シーズンは打ち切り濃厚で今季の目標はなくなってしまった。

それでも、遠く離れた日本でツテを頼り、練習を続けている。

「スペインに渡ったころは、二十歳でスペイン1部のチームとプロ契約して、日本代表に入って、オリンピックにも出る、そんなつもりでいました。全然まだまだですけど、目標は変わっていません。自分はサッカーでやっていくと決めているので。またスペインに戻って、そこで成功したいと思っています」

年代的には、東京五輪世代といえる。同年代の頂点にいるのは同じスペインを舞台に、1部で実力を発揮している久保建英(マジョルカ)。日本にいる時に何度も対戦した安部裕葵(バルセロナB)も、同じスペインのビッグクラブにいる。

立場の違いは歴然としている。スペインで長く暮らし、その差を痛感。「正直、すごいなと思います。ただ、悔しいですし、自分もいつか同じレベルまでたどりつけると思っています」。

どんな時でも、甲田には、支えとなる、魔法の言葉がある。

12歳だった8年前、たまたまプレーを見てくれた名将ジョゼ・モウリーニョ(現トットナム監督)からもらったひと言が、原動力となっている。

「素晴らしいプレーをする。スペインでも十分できる」

世界的名将のこの言葉を信じ、夢を追い続ける。

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12年3月。甲田は中学校入学前の春休みに、マドリードに10日間、短期留学した。

ツアーを主催した会社の心強いサポートもあり、現地の同年代のチームとの試合で、光(ひかる)という名前の通りの素晴らしいプレーを披露した。

たまたま、相手チームのGKが、当時レアル・マドリードの監督をしていたモウリーニョの息子だった。

試合を見に来たモウリーニョに認められた。あの言葉で、人生も決まった。

家族の理解も得て、13歳でスペインにサッカー留学。本場で同年代の選手たちと、対戦してもまれ、メキメキ力をつけた。

レアル・マドリードや、バルセロナ育成組織の同年代の選手たちとも何度も対戦した。スペイン育ちといっていい。

当然、スペイン語も何不自由なく話し、意思疎通をはかる。コミュニケーション能力も、サッカーのスキルの1つ。その点にも自信を持っている。

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当時対戦した選手や、チームメートにはスペイン1部ですでに久保を上回る活躍をし、スペイン代表入り間違いなしといわれるような選手もいる。

ワールドカップ(W杯)も制して世界一にもなり、アンドレス・イニエスタ(現ヴィッセル神戸)らを生んだスペインは世界屈指のサッカー大国。日本とはまだまだ、大きな差がある。それを痛感している。

「スペインは戦術理解度が高いと思います。小さいころから、みんなリーガ(スペインリーグ)の試合を見ていて、すごくサッカーを知っています。日本との一番の違いは、サッカーIQだと思います。ファウルの使い方、ボールを止める位置…。考えてやっているのかどうか分からないですけど、誰でも自然と、すごく高いレベルのことができているんです」

選手でありながら、現在、クラブのU-13年代のチームで助監督も務めている。

同年代の1部リーグに所属しているチームのため、レアル・マドリードやアトレティコ・マドリードの下部組織と日常的に対戦し、その戦術眼を、指導者視点でも磨いている。

昨季、そのレアルの原石たちを率いていたのは元スペイン代表で、世界一のMFともいわれたシャビ・アロンソ(現レアル・ソシエダードB監督)だった。

甲田のスペインでの日常は、日本では考えられないような環境。まさしく、最前線に身を置いている。

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いまや、日本から多くの選手が海外に渡り、欧州で厳しい生存競争にさらされながら、存在を示し、たくましく生き抜いている。

日本のサッカーは、もはや海外組頼みで、海外と日本では環境もプレー強度も、雲泥の差がある。

そんな中、注目されるのは久保や南野拓実(リバプール)ら主要リーグのトップカテゴリーで、世界の一流たちと戦っている日本代表の面々ばかり。

一方で、甲田のような無名の挑戦者もいる。

プロスポーツはほとんどが実力主義で、ある意味残酷だ。プロの世界は1部、2部、3部と格差社会で、現実を突き付けられる日々。

より厳しい環境の欧州では、一層、厳しい現実や理不尽な事態に直面することが多い。

「ヨーロッパでは、歴史的な部分が原因なのか、どこかでアジア人を見る目が違う部分はあると思います。特にサッカーでは、それが強く、監督によっては、アジア人は絶対使わないという人もいました。スペイン人は、日本人は勤勉でマジメだと思ってくれていて、日本人に対するリスペクト精神を感じることが多いですが、それでもそんな状況に直面することがあります」

新型コロナという、予想もしなかったウイルスを通じ、甲田は“外国人”であることを、痛感させられる事態にも直面した。

中国・武漢から日本などへ、感染拡大しはじめたころ、スペインなど欧州ではまだ対岸の火事ともいえる状況だった。

同時にアジア人や中国人に対する、差別的な出来事も、日常にはあった。

「日本で感染拡大が話題になっていたころ、スペインは、まったくそんな気配がありませんでした。でも、ニュースでは中国や日本の様子が伝えられていて、友だちと地下鉄に乗ったら『コロナウイルスだ!』と指をさされて、笑われました」

こういう現実と直面しながら、たくましく、生き抜いている。

ただ、実力主義のサッカーの世界なら、力さえ示すことさえできれば、どんな状況も一変させられる。

「モウリーニョ監督が、僕を見てくれたように、ヨーロッパでは、誰がどこで見ていてくれるか分かりません。とにかく結果を出して、チャンスをモノにしていこうと思っています」

1日も早くスペインに戻って、挑戦を続けたいと甲田は願う。

来季に向け、関係者を通じて勧められた元スペイン代表のダビド・ビジャ氏が日本で開催するトライアウト(入団テスト)を受験するプランもあるという。

うまくいけば、ビジャ氏が実質的に保有するスペイン4部など、海外のクラブと契約しプレーできる。

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甲田には夢がある。可能性もあると信じている。ただ、欧州のサッカー界では若いとはいえない21歳。冷静に考えると、プロサッカーの世界では、まだ何も成し遂げてはいない。

もしかしたら、モウリーニョの何の悪意もない、素直なつぶやきは、悪魔のささやきだったのではないだろうか? 意地の悪いそんな問いに、笑いながら甲田は、しっかりと前を見すえて答える。

「自分は、サッカーでやっていく、あの言葉でそう決めたんです。あの言葉が、自信になっていますから。もう1度、モウリーニョ監督に会って『今も、スペインでやっているよ』と伝えたいですし、いつか、ぜひ一緒にプレーできるようになりたいです。自分にはサッカーしかないので」

どんな苦境でも、甲田には、魔法の言葉がある。

コロナ禍でも、いままで培ってきたものがゼロになるわけではない。

サッカー界も世界も、広いようで狭い。

いつか、モウリーニョのもとでプレーする可能性もゼロではない。甲田のように、信じ続けてやり続ける限り-。【八反誠】

 

◆甲田光(こうだ・ひかる)1999年(平11)4月15日、東京都出身。6歳の時に、滝野川フットボールクラブ(東京都北区)で本格的にサッカーを始める。主にMFでプレー。両サイドバックも経験している。166センチ、57キロ。