ピクシーの右腕、W杯に挑む“もう1人の日本代表”セルビア代表アシスタントコーチ喜熨斗氏

笑顔を見せるサッカーセルビア代表の喜熨斗アシスタントコーチ(撮影・江口和貴)

ワールドカップ(W杯)カタール大会に挑む、もう1人の“日本代表”がいる。2大会連続3度目出場のセルビア代表のアシスタントコーチ、喜熨斗(きのし)勝史氏(58)。名古屋グランパスなどで活躍した「ピクシー」こと、同代表のドラガン・ストイコビッチ監督(57)の右腕としてチームを支えている。欧州では極めて珍しい日本人コーチとして、現在の地位を築くまで、そして、海を渡ったからこそ見えたサッカーとは。【取材・構成=磯綾乃】

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10月、W杯開幕の1カ月ほど前、喜熨斗氏はひと足早く、カタールの地にいた。ともに時間を過ごしていたのは、そうそうたるメンバー。元アーセナル監督のベンゲル氏、元イングランド代表のベッカム氏…。カタールの育成施設「アスパイア・アカデミー」と国際サッカー連盟(FIFA)が共催した、世界中のコーチングスタッフ向けの国際会議。喜熨斗氏は、セルビア代表として参加していた。

「最初は『君はどこからきたんだ?』という顔をされても、セルビア代表のエンブレムを見せて、これまでの経歴を話すと、同じレベルとして受け入れてくれる。対等に勉強することができました」。会議では数人ずつのディスカッションを実施。グループを代表してプレゼンテーションを行った喜熨斗氏に、ベンゲル氏がそっと近づいてきた。「君の話を聞きにきたんだよ」と言って、興味深そうに耳を傾けていたという。

本場欧州の代表チームのコーチとしてW杯のベンチに入る、日本人では極めて珍しいことだが、「ここがキャリアのピークだとは思っていません。ただ、日本人で誰もやっていないことをやっていると自負しています」。それは、一朝一夕で手にした地位ではない。

日体大を卒業後、教員をへて東大大学院に入学。Jリーガーではなかったが、97年に平塚(現湘南)でフィジカルコーチとしてのキャリアが始まった。C大阪、浦和などを渡り歩き08年に名古屋へ。その年、指揮官に就任したストイコビッチ監督とともに戦う日々が始まった。「信頼されるまでに時間はかかりましたよ。でもピクシーとの出会いは本当に大きかった」。

最初にトレーニングを任されたのは、たった3分間。しかし、少しずつ増えていった時間とともに、仕事ぶりと結果で、信頼を勝ち得ていった。選手からの信頼も勝ち取った。

そこからは2人旅。15年、名古屋監督を退任しフリーだったストイコビッチ監督とともに中国に渡り、同国最高リーグに在籍する広州富力で約6年間、ヘッドコーチとして指導した。これまで担当してきたフィジカル面だけでなく、戦術などサッカー全体の指導に携わるようになった。そして昨年3月、ストイコビッチ監督に請われ、セルビア代表のアシスタントコーチに就任した。

セルビア入りした当初、母国のスター、ピクシーは大歓迎されても、アジアから来たほとんど誰も知らない存在を、すぐに認めてくれるはずはない。ましてや指導する代表メンバーも、世界のトップリーグで主力として活躍しているビッグネーム。ここで、助けになったのは、各国でプレーする日本の仲間たちだった。

「長谷部がコスティッチに、吉田がタディッチに、川島がS・ミトロヴィッチに、それぞれが同僚だった選手に自分のことを伝えてくれていた。ありがたかったですし、サッカー界は狭いんだなと思いました」。もちろん、明確な理論と堂々たる姿勢で自身の存在を認めさせたことが前提にある。それでも、日本サッカーの輪を感じずにはいられなかった。

今では喜熨斗氏がパソコンを前に話し出すと、選手たちはすぐに「ごめんよ」と言ってくるという。プレーについて鋭い指摘されることを分かっているからだ。周囲から「ピクシーの右腕だな」と呼ばれることも少なくない。「右腕じゃなくて、右足にならないといけないんだけどね(笑い)」。Jリーグで伝説の“革靴ゴール”を決めたこともあるピクシーの黄金の足になぞらえた喜熨斗氏のジョークは、もう何度、言ったか分からないほど鉄板ネタだ。

セルビア代表は昨年、W杯欧州予選を無敗で突破した。11月14日、最終戦となったポルトガル戦。開始直後に先制点を与えたが前半に追いつき、試合終了間際に劇的な勝ち越しゴール。強豪を抑えて首位通過を決めた。「ピクシーはなぜか必ず、結果を出しちゃうんですよね(笑い)」。

類いまれなカリスマ性で大舞台へ導いたヒーローは、知名度も人気も抜群。その右腕としてセルビア国民に知られるまでになった喜熨斗氏も、入国審査の係員にまで「サンキュー」と感謝される。「今ではセルビア人の選手たちみんなが、代表の一員になりたいと思ってくれている。うれしいですし、一枚岩になっていると感じています」。

忘れられないのは、その大舞台への切符をつかんだアウェーでのポルトガル戦。満員の約6万5000人の観衆が、ピッチを一心に見つめている。クリスティアーノ・ロナウドが、セルビアを前に苦戦している。「その一因になれたかと思うと、うれしくて。あの雰囲気は、そこにいないと味わえない。地球一でした」。ここまでの挑戦がいったん、報われた瞬間だった。

現在は1年の3分の2をセルビアで過ごす。住まいは代表のトレーニング場に隣接するホテルの一室。時間があれば、女子やアンダー世代の練習もすぐに見に行くことができる。

代表活動の合間には、バイエルン・ミュンヘン、アヤックスなど、セルビアの代表候補選手が所属するクラブを視察した。「どこでも、学ぶことばかりです」。世界のトップで活躍する選手、そして指導するコーチ。それにカタールで対面した、ベッカム氏やベンゲル氏も…。全員がそろって大切にするキーワードがあった。

「ハードワーク」

チームのため、懸命に、泥くさく走り続ける。日本ではそう認識されがちだが、欧州サッカー界で共通だと喜熨斗氏が感じた意味は、全く別物だった。

「ハードワークとは、チームの勝利のためにハードな、難しい仕事をすること。だから、力を温存して歩いていることも、勝利に導くゴールを決めるための『ハードワーク』。時にずる賢いことをすることも、『ハードワーク』なんです」

勝利につながる全てが、ハードワーク。例えば元イングランド代表のFWルーニー。ボールを持っていない時は歩いているように見えても、それは一瞬のタイミングを待ち、チームを勝たせるゴールを狙っているだけ。だから仲間が責めることはない。それぞれが課された役割を理解しているからだ。

日本にいる時から感じていたことを、海を渡ったことで再認識できた。世界と日本の差。欧州にいるからこそ見えるサッカー。喜熨斗氏しか知らない経験や学びを、いつか日本のサッカー界に還元したいと考えている。「成長させてもらえる役職に就いたことで、成長せざるを得なくなった。追い込まれただけ、成長できた。コーチに年齢は関係ない。将来、日本で監督をやりたいです」。まだ、道の途中。セルビアでの日々も未来へのステップだ。

W杯の開幕が近づいてきた。1次リーグはブラジル、カメルーン、スイスと強豪ぞろい。「練習試合でよく言う、『仮想●●』は意味がないんです。自分たちのサッカーを、実力をどれだけ上げられるか。ここまで2年かけて準備することができましたから」。9月下旬には、欧州ネーションズリーグで怪物ハーランド擁するノルウェーに勝利し、最上位グループに昇格。積み重ねた結果とみなぎる自信。あとは、日本にも届く結果につなげるだけだ。

◆喜熨斗勝史(きのし・かつひと)1964年(昭39)10月6日生まれ、東京都出身。日体大卒業後、関東1部リーグでFWとしてプレー。教員をへて、東大大学院総合文化研究科に入学。97年に平塚(現湘南)でプロの指導者に。C大阪、浦和、大宮、横浜FCでフィジカルコーチを歴任。04年以降、カズ(三浦知良)のパーソナルコーチを務める。ストイコビッチ監督とともに、08~15年8月まで名古屋でフィジカルコーチ、同年から19年まで中国1部広州富力、21年3月からセルビア代表アシスタントコーチを務める。