[ 2014年2月19日9時3分

 紙面から ]インタビューを受け、涙ぐむ葛西(撮影・井上学)<ソチ五輪:ジャンプ>◇17日◇男子団体(HS140メートル、K点125メートル)

 ジャンプ男子の団体で葛西紀明(土屋ホーム)伊東大貴(雪印メグミルク)竹内択(北野建設)清水礼留飛(雪印メグミルク)で挑んだ日本が、1024・9点で銅メダルを獲得した。この日はくしくも98年の長野大会で金メダルを取った同日。その長野で屈辱を味わったアンカーの葛西が、2回ともに134メートルをマークし、4大会ぶりのメダルをつかみ取った。個人最多タイの3つ目のメダルを取り、「長野の呪縛」を振り払った。

 「レジェンド」の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。ぬぐってもぬぐっても止めどなく流れる。15日のラージヒルで悲願の個人銀メダルを手にしても涙を流さなかった葛西が、団体銅メダルでいとも簡単に泣いた。自分のためではない。傷だらけでも最後まで戦い抜いた後輩たちのため。人目もはばからず男泣きした。「択や大貴の気持ちを考えると涙が止まらなくて。礼留飛も人一倍努力していて悔しさを知っていた。後輩たちにメダルを取らせてあげたかった」とまた泣いた。

 日本が1つになった。1回目が始まる直前。4人で円陣を組んだ。葛西が思いを伝え「今回こそ絶対取るぞ」のかけ声に、3人が「オ~ッ」と呼応し、戦いをスタートさせた。最年少の清水が132・5メートルを飛び勢いをつけると、五輪直前まで難病と闘い入院していた竹内が、直前のW杯で左膝を痛めた伊東がK点越えでつないだ。

 ボロボロになりながら、3人がつないでくれたバトン。アンカー葛西はすべての思いを込めて力強く飛び出した。ふわっと高く舞い上がり一直線に進んでいくと2回ともに134メートルをマーク。2回目を終えると待ち構えていた3人が、ランディングバーンに飛び出し、抱き合った。日本に16年ぶりの団体メダル。自身にとっては94年リレハンメル大会の団体銀メダル以来だ。輝きは違ったが、メダルの色は関係ない。何よりの宝物になった。葛西は「僕がメダルを取った時、自分のことのように喜んでくれた。一緒に戦ってメダルを取るならこいつらだと思っていた。リレハンメルのメダルとは全然、喜びが違う。最高の五輪になった」と熱い胸の内を話した。

 止まった針が動きだした。この日はちょうど栄華を極めた長野五輪で日本が団体金メダルを獲得した2月17日。葛西にとっては、団体メンバーから外れ金メダルを逃した屈辱の日だ。思い出すと眠れないくらい、心に重く暗い影を落としてきた。同世代が世界一を手にする一方で「なぜ自分にはないのか?」。

 その間、日本ジャンプ陣は長い低迷期に入った。結果が出ず、W杯代表メンバーからベテランを外す案が出たこともあった。「結果を出して見返してやる」。反骨の心が二十数年の競技生活に力を与え続けた。日本勢の冬季五輪最多タイの個人3つ目のメダルを獲得するまでに力も精神力も備え、世界レベルに戻ってきた。もう、誰にも何も言わせない。「今のレベルは長野の頃より数段高い。あの頃よりも価値があると思っている」とプライドをにじませた。その顔は「長野の呪縛」から、すっかり解き放たれていた。

 選手団の主将として挑んだ世界最多7度目の五輪が終わったが、まだ仕事がある。W杯総合は現在3位につける。これまで日本男子が誰もなし得ていないW杯個人総合王者の称号を取りに行く。「調子を維持して狙っていきたい」。新たな伝説が、ここから動きだす。【松末守司】