<第88回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・9キロ)

 明大がエースの復活で3位に食い込んだ。腰痛で往路の2区を回避した鎧坂哲哉(4年)が、最終10区に強行出場。4位でタスキを受けて、1分13秒差あった早大を16キロすぎに逆転。往路3位を死守し、1963年(昭38)大会の2位以来49年ぶりの総合ベスト3入りの原動力になった。箱根には1年から出場し、古豪復活の礎を築いてきた。ケガに苦しんだ最終年は主将の責任を果たした。卒業後は旭化成に入社。すでに1万メートルの五輪参加A標準記録を突破しており、夏のロンドン五輪出場を目指す。

 腰の痛みは「タスキの重み」で散らした。最終10区。鎧坂は3位早大と1分13秒差の4位でタスキをもらった。「後輩たちが頑張ってタスキを運んでくれた。最後は自分でしっかり締めたい」。懸命に腕を振り、16キロ過ぎに早大・市川をかわし、逆に20秒差をつけてフィニッシュ。明大に49年ぶりの総合ベスト3入りをもたらした。

 大学1年から箱根駅伝に出場し8位→10位→5位と古豪を引き上げてきた。主将に選ばれた今年は「結果を出して引っ張っていく。結果がすべてだから」とシーズン序盤から個人競技に全力を注いだ。6月の日本選手権5000メートルは3位。7月の英国選手権1万メートルではロンドン五輪参加A標準記録を突破する27分44秒30をマークした。

 責任感の強さゆえの無理がたたったのか、最後の箱根が迫る10月から腰に座骨神経痛が発症。11月の全日本大学駅伝は強行出場も8位でシード権を逃した。12月は20キロの走り込みを2回しかできず、軽いジョギングで様子を見る日々。大会1週間前には右足にしびれも出た。大会3日前の昨年12月30日、エース区間の2区の回避を決めた。

 欠場した前日2日の往路は東京・世田谷の合宿所のテレビで観戦した。5人の下級生は51年ぶりの往路3位と自らの穴をカバーしてくれた。「1人1人が最後にタスキを渡すまでしっかり頑張ってくれた」。「結果がすべて」との自分の思いは伝わった。痛みは消えなかったが、主将として最後の役目を果たすため、最終10区の出場を決断した。

 この日の朝は痛み止めを飲んで10区のスタート地点に向かった。一方で後輩たちは「鎧坂さんのために貯金しよう」と結束。スタート前には「楽しんで走ってください」と不安を打ち消してくれた。ゴール直後は、後輩たちから人生初の胴上げで3度、宙に舞った。

 今春から旭化成に入社する。まずはケガを完治させ、今夏のロンドン五輪出場を目指す。「古豪復活、強豪明治の足がかりになればうれしい」。明大時代再来へ-。卒業後は、五輪出場のニュースで後輩たちに勇気を与えていく。【田口潤】