【ロンドン20日=上田悠太】陸上男子短距離の小池祐貴(24=住友電工)が決勝(追い風0・5メートル)で日本歴代2位の9秒98で4位になり、日本人3人目の9秒台をマークした。

2年前、一時は競技引退も考えていた苦労人が、自己記録を0秒06更新し、堂々4位に入った。世界の強豪が集うダイヤモンドリーグ決勝が舞台だけに、その価値は十分。前日本記録保持者の桐生祥秀(23=日本生命)は10秒13で7位だった。

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9秒98。小池が一気に10秒の壁を破った。しかもリオデジャネイロ五輪銅メダルのデグラッセ、世界歴代2位の記録を持つブレークらと一緒に走っての9秒台。スタートから鋭く飛び出すと、一気に駆け抜ける。世界の強豪と競り合い、表示されたタイムは日本人3人目の9秒台だった。

直後の取材エリア。小池に興奮はなかった。第一声は「4着かという感じ」と悔しがる。「3位に入れば、世界選手権で決勝が見えると準備をしていた。ほぼ会心のレース。これで4着だったら実力が足りないんだと思った」。とはいえ9秒98。同期の桐生の自己記録に並んだ。

その背中を追い続けていた。北海道・立命館慶祥高1年秋の山口国体。少年B100メートル決勝で桐生に敗れ「来年あいつと勝負して勝つ」と家族へ告げた。食事もササミなど脂身を控えるようにしてもらった。連絡先を交換し、交流を続けながらも、ライバル視していた。桐生は高3の織田記念国際で10秒01。「マジか」とショックで「その夜は家であんまりしゃべらなかった」(父賢治さん)という。3年時は高校総体は100、200メートルとも2位。ともに優勝は桐生だった。

その差は大学進学後も縮まらない。広がっていった。東洋大で桐生はリオ五輪男子400メートルリレー銀、日本人初の9秒台まで出し、光を浴び続けた。小池は慶大入学後、ケガにも苦しみ、五輪も世界選手権も縁はなし。遠征費を稼ぐため、すし屋でアルバイトもした時期もある。目立った実績を残せず、一般学生と一緒にリクルートスーツも着て、就職活動までした。大学4年10月に進路が決まるまで引退するつもりだった。

再び才能が花開いたのは、17年夏以降、走り幅跳び84年ロサンゼルス五輪7位の臼井淳一氏の指導を受けてから。以前はガムシャラに走りフォームを崩していたが、6割ほどの力で走る練習を繰り返し、正しい接地、体の動き方を染み込ませた。慶大卒業後も指導を仰いでいる。

レース後、桐生から「9秒出たな」と声を掛けられた。サニブラウン、桐生ともに代表選出が確実な世界選手権では決勝進出を目指す。「ここで結果を出さないと世界選手権で戦えないと自分にプレッシャーをかけた」。大舞台での勝負強さが武器。ここは通過点だ。