重友梨佐が5年ぶり復活V 世界陸上へ名乗り

2時間24分22秒で優勝のゴールテープを切る重友(撮影・奥田泰也)

<大阪国際女子マラソン>◇29日◇大阪・ヤンマースタジアム長居発着(42・195キロ)

 もう文句は言わせない! 重友梨佐(29=天満屋)が2大会連続となる世界選手権(8月・ロンドン)の代表入りを有力にした。前半は抑え気味ながら、35キロすぎに先頭に立ち、2時間24分22秒でフィニッシュ。昨年3月に痛めた右足裏のけがから復活した。2年前の大会では、3着(後に2位繰り上げ)ながら15年の世界選手権代表となり、日本陸連の選考方法が物議を醸したが、今回は文句なしの優勝だった。

 冷静だった。重友は10キロすぎから先頭集団から遅れ始め、中間地点で3人の先頭集団と24秒差あった。それでも無理にペースを上げず「体が動いていないことはなかった。様子を見ようと思った」。迷った末についていかない選択をし、これが吉に出る。後半にライバルたちのペースが落ちる中、重友だけは勢いが落ちなかった。35キロすぎに先頭の堀江を捉えると、その後は1人旅。5年ぶり2度目の優勝を決めると涙した。

 どん底だった。昨年3月。右足底筋膜炎を発症した。昨年の同大会で5位に終わり、リオ五輪出場の道が絶たれ、気持ちを新たにした直後だった。歩いただけで痛みが出て、2カ月間も「全く走れなかった」。精神的に落ち込み、武冨監督と口げんかしたこともあった。本格的に練習を開始できたのは昨年11月。42・195キロを走ったのは1度だけで、完治していない。大阪国際で「自己ベストを更新する」という目標のため、意地で走った。過去には何度も「やめないといけなくなるのかな」と不安に駆られた。そんな時は母民恵さん(58)が「いつでもやめていいんだよ」と声をかけてくれた。ねぎらいの言葉は重圧を解放してくれた。

 重友は「選考は選ぶ人が決めるので分からないですが、行けたらいい」と控えめだったが、世界選手権の代表に大きく近づいた。ロンドンは12年の五輪で、2時間40分6秒の79位に沈んだ地。雪辱を果たすべく「最後の10キロをしっかり動かせる走りができたらいい。選ばれただけで結果を残せなかった。もう1回行って走りたい」と力を込めた。苦い思い出を塗り替えるための準備を進めていく。【上田悠太】

 ◆重友梨佐(しげとも・りさ)1987年(昭62)8月29日、岡山・備前市生まれ。興譲館3年の05年高校駅伝で主将として初優勝。06年に岡山市に本社を置く百貨店の天満屋に入社、現在は最年長選手。12年1月の大阪国際初優勝で同年ロンドン五輪出場も右足首痛の影響で79位と惨敗。自己ベストは2時間23分23秒。168センチ、52キロ。

 ◆15年世界選手権北京大会代表選考VTR 名古屋ウィメンズ2位前田彩里(2時間22分48秒)と3位伊藤舞(2時間24分42秒)が選出。残る1枠を横浜国際優勝の田中智美(2時間26分57秒)と大阪国際3位の重友梨佐(2時間26分39秒)が争い、唯一の優勝者である田中が落選。同年3月の代表発表会見で84年ロサンゼルス五輪代表の増田明美さんが「びっくりしました。なぜ同じ26分台で大阪で3位だった重友さんなんでしょう?」と疑問視して物議を醸した。世界大会の3大選考レース優勝で代表落ちしたのは23年ぶりだった。

 ◆世界選手権女子マラソン代表選考 代表枠は最大3。昨年11月のさいたま国際、大阪国際、3月の名古屋ウィメンズで日本人1位で、派遣設定記録の2時間22分30秒以内を出せば、自動的に代表内定する。これで枠が埋まらない場合、3大会の日本人3位までと、昨年8月の北海道を制した吉田を対象に選考する。補欠も1人選ぶ。

 ◆陸上世界選手権 五輪に並ぶ陸上の世界最高峰の大会。83年ヘルシンキ大会が第1回。91年東京大会以降は4年から2年に1回(夏季五輪の前年と翌年)開催に変更。今年の第16回大会は8月5~13日にロンドンで、19年はドーハ、21年は米ユージーンで開催。日本では過去に東京と07年大阪で開かれた。