「最強公務員ランナー」川内は独自のスタイル貫く男

 「最強の公務員ランナー」こと川内優輝(31=埼玉県庁)が2時間15分58秒でボストンマラソン初優勝を果たした。87年の瀬古利彦氏(61)以来、日本勢31年ぶりで8人目、9度目の快挙。大雨と強風の悪条件の中、40キロすぎに昨夏の世界選手権王者ジョフリー・キルイ(ケニア)を抜き去った。06年にスタートした世界最高峰シリーズ「ワールド・マラソン・メジャーズ」を日本勢で初制覇。優勝賞金15万ドル(約1650万円)を獲得した。

 川内は銀のトロフィーを手に涙をこらえ、君が代を聞いた。「瀬古さんが最後に優勝した年に僕が生まれたので運命を感じる。表彰式で国旗が揚がったのを見て感動した」。暑さが苦手で、20年東京オリンピックは目指さない意向を示すが「コースやコンディションを選んでいけば金メダリストにも勝てることが分かった」と自信を深めた。

 風雨が強くスタート時の気温は3・3度。ボストンは寒波の影響で、この日開催予定だった米大リーグ、レッドソックス-オリオールズ戦も前日に中止が発表されたほど。タフさが問われた消耗戦も「私にとっては最高のコンディション」。アフリカ勢がスピードを生かしにくい条件を味方にした。「集団を絞るため」スタートの下りでいきなり飛び出せば、20キロ手前でも先頭に出て揺さぶった。35キロで1分31秒差をつけられたキルイを残り約2キロで捉え、2分25秒差の圧勝劇。今年元日に試走ついでに出場したボストン近郊のレースは氷点下17度もの過酷条件。そこを2時間18分56秒で走った経験があるから、苦でなかった。

 昨秋、悩みを抱えていた。14年から埼玉・久喜高の事務員として午後0時45分から9時15分まで働く。5年目となり、今後の異動によって安定した練習時間が確保できなくなる心配をしていた。久喜高は本年度が創立100周年で、川内は記念誌の副編集長を務めている。11月発行予定のため、完成させたい一心で、上司に「異動はやめてください」と訴えた。それが功を奏してか春の異動はなく、練習時間を確保できた。

 公務員として働きながらレースに出続ける異色のランナーは「僕が勝つと思っていた人は1人もいなかったと思う。マラソンは何が起こるか分からないことを証明できた」と胸を張った。今年3月には2時間20分を切った回数として当時の78回がギネス世界記録に認定された。独自のスタイルを貫く男に大きな勲章が加わった。

 ◆川内優輝(かわうち・ゆうき)1987年(昭62)3月5日、東京・世田谷区生まれ。埼玉・春日部東高-学習院大。マラソンの自己ベストは13年ソウル国際での2時間8分14秒で4位。14年仁川アジア大会銅メダル。世界選手権は3度出場し昨年の9位が最高。175センチ、62キロ。

 ◆ボストンマラソン 1897年に始まった世界最古のマラソン大会。コースは起伏が激しく30キロすぎからの急坂は「心臓破りの丘」と呼ばれる。男子の日本勢では1951年に田中茂樹が初優勝。昨年は大迫傑が3位。大会記録は2011年にジョフリー・ムタイ(ケニア)がマークした2時間3分2秒。13年には連続爆破テロが起き3人が死亡した。片道コースのため公認記録にならない。

 ◆記録メモ 男子でアフリカ出身でない選手の勝利は17年ぶり。アトランタ五輪銀メダリストの李鳳柱(韓国)が制した01年大会の後はケニア勢が10度、エチオピア勢が5度、優勝していた。記録は近年では異例の遅さで、男子の優勝タイムが2時間15分を超えたのは76年大会以来、42年ぶりだった。

 ◆ワールド・マラソン・メジャーズ(WMM) マラソンの世界最高峰シリーズで06年にボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークシティーの各レース主催者で組織して始まった。東京は13年大会から加わった。開催年は五輪、世界選手権も含め、選手はレースの成績に応じた獲得ポイントで総合優勝を争う。