青学大、号砲直前に監督不在も変わらず機能する域に

ゴールの瞬間、右手人さし指を突き上げる青学大アンカーの竹石(撮影・上山淳一)

<陸上:出雲駅伝>◇8日◇6区間(島根・出雲大社前~出雲ドーム前、45・1キロ)

まず1冠。青学大が2時間11分58秒で、2年ぶり4度目の優勝を飾った。1区橋詰大慧(4年)が第1中継所まで残り約700メートルで先頭に立つと、チームは最後までトップを譲らなかった。アンカー6区では一時、東洋大に2秒差まで詰められたが、最後は振り切った。史上初となる2度目の大学3大駅伝3冠を狙える力を持った世代。快挙へ向け、最大の難所と思われた出雲路を制した。

フィニッシュテープを切る姿が、まだ通過点である証明だった。青学大のアンカー竹石は右手人さし指を天に突き上げていた。まず1冠。チームメートのもとに駆け込むと、歓喜の輪ができた。最後の中継所で27秒あった差を、東洋大2年吉川に2秒差まで縮められたが、焦らない。高低差15メートルのアップダウンを利用し、引き離した。チームは1区から6区まで首位を譲らない、まさに王者の強さ。胴上げされた原監督は「3冠をできる権利は我々しかない。気を引き締めて、やっていきたい」と語った。

青学大のチーム作りは毎年、箱根駅伝から逆算する。長い距離が得意な選手が多い半面、距離の短い出雲駅伝は2度目の3冠を目指す上で鬼門と捉えていた。だから「出雲プロジェクト」と称し、1500メートルなどトラックが得意なスピードある選手へ出雲を明確に目指すよう求めた。

そこで生き残ったのが、5区(6・4キロ)を走った生方。3大駅伝の経験はなかったが、18分48秒は区間2位だった。「底上げが進んだ」とうなずいた原監督は、表彰式でトロフィーの一部を落としてしまうハプニングもあったが、それはご愛嬌(あいきょう)。箱根駅伝4連覇と距離が長くなるほど強くなる青学大。最初で最大の難所を突破したことで、2度目の3冠が現実味を帯びてきた。

常勝軍団となったが、勝ち始めた頃と原監督の在り方は変化し、チームは成熟した。以前は「君臨型」と指揮官が自らチームを引っ張っていた。今は「サーバント型」と下支えする立場。練習メソッドは確立され、それを選手、スタッフは理解し、主体的に動く。号砲直前にもかかわらず、原監督はフジテレビ系「バイキング」に生出演し余裕の表情で「走るのは選手だから」。その言動に強さの理由が詰まる。原監督が現場にいなくても、チームは何も変わらず機能する域になった。だから選手が入れ替わっても強さは変わらない。史上初の快挙も、軽々と成し遂げてしまいそうな空気がある。【上田悠太】

◆大学駅伝3冠 10月の出雲、11月の全日本、翌年1月の箱根を制すること。達成しているのは90年度大東大、00年度順大、10年度早大、16年度青学大の4校だけ。出雲は6区間の45・1キロ、全日本は8区間の106・8キロ、箱根駅伝は10区間の217・8キロで競われる。