忘れられない言葉 非常識で常識を破れ/悼む

00年9月、シドニー五輪女子マラソン表彰式の後、ひげをそったアゴを高橋尚子になでられ笑顔の小出義雄さん

00年シドニー・オリンピック(五輪)陸上女子マラソン金メダルの高橋尚子さんらを育成した名指導者の小出義雄さんが24日午前8時5分、千葉県内の病院で亡くなった。80歳だった。有森裕子さん、高橋さんらを五輪のメダリストに導いた名伯楽が平成の終わりとともに、この世を去った。

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小出のおっさん、早すぎるよ。まだ80じゃないか、男子マラソンの五輪選手を育てると言ってた夢も、まだ実現してないじゃないか…。と、ここまで書いて思いとどまった。きっと小出さんは「やぼなこと言うなよ。選手にも恵まれて、幸せな人生だったんだ。悔いなんかあるもんか」と笑い飛ばしているはずだ。大好きな駆けっこに情熱を注いで80年。実に濃密な人生だったろう。人生をどう生きたか。それを問えば「早すぎる」なんて言葉は薄っぺらい。満足しきった80年を私がとやかく言えない。ロマンを求め続ける姿は、うらやましくさえ思う。

シドニー五輪の前年、還暦を迎えた99年4月。都内の積水化学本社でインタビュー取材をした(日刊スポーツコムに掲載中)。スーツにネクタイ姿の窮屈な格好でも普段の“小出節”は健在だった。話し始めると止まらない。30分の予定が1時間半近くまで延びた。佐倉高の教員時代に「ウチの子を殺すんですか」と親に怒鳴られながらも、生理中の女子選手を当時の日本歴代3位で走らせたことなどを例に挙げ「非常識なことをやらないと常識は打ち破れない」と話した言葉は忘れられない。

シドニー五輪後、催事担当の部署に異動した私は、5月の本社主催イベントに高橋尚子の出演を依頼するため、千葉・佐倉の小出さんの自宅に毎夜のように日参した。酒席からの帰りなのか、帰宅は午前様が多かった。そんな時でも嫌な顔一つせず、話が競技そのものに脱線しようとも熱っぽく話していた。一通り話した後に「ところで今日は何の用だっけ」と言われ交渉不成立でも、これっぽっちも嫌な気はしなかった。

シドニー五輪で高橋尚子がフィニッシュする時も、ベルリンで世界最高記録を出した時も、いつも胃袋はビールで満たされ、そのにおいを嗅ぎながらの取材は実に楽しかった。そんな不摂生を改めようと最後は、大好きなアルコールを断っていたと聞く。でも、もう我慢しなくていいんです。天国では思い切り大好きなビールを飲んで、大好きな駆けっこを楽しんでください。【96~00年陸上担当=渡辺佳彦】