小出義雄さん通夜始まる 祭壇の花は米雪山イメージ

小出義雄さんの通夜の祭壇には本人がお気に入りだった写真が飾られた(撮影・上田悠太)

24日朝に肺炎のため、80歳で亡くなった女子マラソンの名指導者・小出義雄さんの通夜が28日、千葉・さくら斎場で始まった。

喪主は妻の小出啓子さん。祭壇の花は何度も高地合宿を繰り返した米ボルダーの雪山のイメージされた。写真は生前から「何かあったら使ってくれ」と家族に頼んでいたというお気に入りの笑顔の一枚だった。斎場の中には、思い出の写真、00年シドニーオリンピック(五輪)時に渡されたメッセージ入りの日の丸も飾られていた。

小出さんは1939年(昭14)4月15日、千葉・佐倉市生まれ。千葉・山武農高(現大網高)を卒業後、4年間の浪人を経て、順大に入学。箱根駅伝に3年連続で出場した。65年から教員となり、千葉県立長生高-佐倉高-市船橋高と23年間、陸上部監督を歴任。佐倉高時代の78、79年に高校駅伝出場、市船橋高時代の86年には全国制覇した。

88年にリクルート入社。同社ランニングクラブ監督を経て97年に積水化学女子陸上部監督に就任。01年に佐倉アスリート倶楽部を設立し代表取締役兼監督に就任した。02年12月に積水化学を退社し、佐倉アスリート倶楽部に籍を置き豊田自動織機やユニバーサルエンターテインメントなどで指導していた。有森さん、高橋さん、鈴木さん、千葉真子さん(42)ら平成の歴史を彩った多くの名ランナーを育成した。

今年3月下旬からは千葉県内の病院に入院していた。3月末には指導の第一線を外れ、死期を悟り、教え子に電話をかけていた。