仲間への思い、誇り…監督選手の名言珍言/箱根連載

東洋大・酒井俊幸監督

<箱根から五輪へ(3)名コメント集>

仲間の思い、大学の誇りが凝縮された1本のタスキを217・1キロつないでいく。歓喜と悲哀が交錯する新春の箱根路に、選手も指揮官もそれぞれの思いを胸に挑む。連載「箱根から五輪へ」の第3回は取材を通じて耳にした名コメントを紹介します。オリンピック級の名言からクスッと笑えるものまで。どうぞ、年明けまで、じっくりかみしめてください。【箱根駅伝取材班】

   ◇   ◇   ◇

▽東洋大・酒井俊幸監督

「エースというのはいろんなものを背負っている。鉄紺のエース=学生長距離界のエースにならないといけない。エースになるということは優勝を左右する選手にならないといけない。そして、やる以上はトラックであれ、マラソンであれ、半歩先に日の丸を目指していく。今のマラソンを考えれば、2時間5分台の日本記録の更新を目指していく」

※エースの育成論を問われ。日の丸を背負う人材が多く生まれる理由を知る。

 

▽国学院大・前田康弘監督

「選手たちが目標としているところを指導者も目指すべき。片道でもいいから箱根の歴史に名前を残したい。歴史を変えるというか、歴史をつくりたい」

※令和最初の大会で、新時代の幕開けを告げられるか。

 

▽筑波大・弘山勉監督

「嘉納治五郎先生から金栗四三先生。その中で筑波大がある。先輩方、先生方の教えは駅伝につながることはある。そこを失わずに故(ふる)きを温めて新しきを知る。学生は社会的背景、考え方、体的な特徴の違いがあったり、やり方は変えなくてはいけないが、奥底にある根本は変える必要はない」

※伝統は脈々と引き継がれている。

 

▽青学大・原晋監督

「16人の学生は8学部に在籍して、12都道府県、15校の出身者からなる。強くなりたいと青学の門をたたいてくれた。それに幼稚園から大学まで青学がワンチームで戦っている。箱根を通じて証明したい」

※時流を逃さないさすがのコメント力。

 

▽東京国際大・大志田秀次監督

「どこかで『東京国際がトップに立ちました』というのは言われてみたいなあ」

※5強崩しの筆頭候補の前評判に「うちはその域に達していない」と謙虚な監督のささやかな願い。

▽東海大・館沢亨次(4年)

「自分に今できることは、何かカッコイイ言葉を言うことではなくて、ゴールテープを切るまで油断せずに全力を尽くしているところを見せること」

※ジャカルタ・アジア大会代表も今季は故障続き。それでも背中で示し続けるのが最強世代を率いる主将。

 

▽青学大・鈴木塁人(4年)

「箱根は通過点。社会人からスタートと思っている。ただ応援してくれる人に恩返しする発表の場。夢はおじさんになるまで走る。40歳ぐらいまで。長く第一線で五輪や世界選手権に出て、見たことがない景色に挑戦したい」

※箱根から世界へと羽ばたけ。

 

▽東洋大・今西駿介(4年)

「横にいる相沢が人間じゃない人間なので。人間として気楽に走りたい。目標は58分30秒くらい」

※2年前の6区で当時青学大の小野田に抜かれ、レース後に発した「人間じゃねえ、あれ」が話題に。なお前回は6区58分12秒。酒井監督から「何で下がってんの」と即ツッコミを受けた。

 

▽筑波大・猿橋拓己(3年)

「日比谷かな。持ってるポテンシャルをうまくいかしつつ、新しい時代に向かって再開発も進み、持っている芸術性、文化、緑などポテンシャルをいかしている街。自分たちもそれぞれ、競技力はもちろん持ってる技術だったりアイデアだったりを出し合いながら進化していけたら」

※さすが国立。理工学群社会工学類で都市開発を学ぶ。「チームを日本の都市に例えたら」との質問に当意即妙。

 

▽駒大・中村大聖(4年)

「駒大は平成の常勝軍団と呼ばれていた。令和でも言われたい。それを自分たちの代でしっかり残せるよう」

※平成6度Vは最多。令和ではいかに。

 

▽法大・河田太一平(1年)

「一般受験なら東京海洋大に行こうと思っていた。生物、特に魚が大好き。マモンツキテンジグザメというのがいるのですけど、こいつはひれで歩けるんです。一番のお気に入りかな。1人で美ら海(ちゅらうみ)水族館も行きます」

※「走れる魚オタ」という新しい存在の誕生予感!

 

▽国士舘大・加藤雄平(4年)

「腐っていた時期もある。でも人に支えられ、ここまで来られた。次は自分が人の成長を支えられる人になりたい。『なかなかタイムが出なくても、試合に出られなくても、しっかり頑張れば、箱根に出られたんだよ』。そういう経験を生徒に伝えられたら」

※最後の箱根で公式戦初出場が濃厚。今年は教員採用試験に不合格だったが、卒業後に再挑戦する。いい先生になりそう。

 

▽関東学生連合(東大)・阿部飛雄馬(4年)

「箱根に東大で出たかった。実は東大に来て学問的に何かやりたいと思っていたわけではない。他で箱根を目指す選択肢もあったが、それだと面白くないというか、自分が何か道を切り開いていくというか、歴史をつくるみたいなことにすごく憧れがあった。そこを目指せれば自分にしかできないことがあるのではと思っていた」

※来年4月からは陸上を続けながら、東大大学院へ。文武両道の金メダル。