伸び盛り佐藤早也伽「あと少し頑張って」世界へ

ランニングする積水化学・佐藤(撮影・山田愛斗)

宮城・大崎市出身で積水化学女子陸上競技部の佐藤早也伽(26)は、伸び盛りの急上昇ガールだ。昨年は3月に初マラソン日本歴代6位のタイムをマーク。9月の全日本実業団対抗選手権5000メートル、12月の日本選手権1万メートルとそれぞれ自己ベストを更新した。師走の大一番では3位に輝いただけでなく、レース序盤は同僚の新谷仁美(32)の「専属ペースメーカー」を務め、日本新記録と東京オリンピック(五輪)代表内定をアシスト。「実業団に入ってから一番伸びました」。遅咲きのヒロインが、充実の2020年、今後の展望を語った。【取材・構成=山田愛斗】

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佐藤も半端ない。日本選手権1万メートル3位で、彗星(すいせい)のごとく国内トップ選手の仲間入り。中盤、終盤と苦しんだが「自分との勝負」と無欲で臨んだ結果が吉と出た。「ラスト1周まで3位集団で粘れて、そこから勝てるか分からなかったんですけど、思い切ってスパートしたら何とか逃げ切れたので、ちょっと自信になりました」。19年の同大会は5000メートルで5位入賞を果たしているが、日本最高峰の舞台で初めて表彰台に上がった。

先頭を走って同僚を強力援護した。1万メートルの東京五輪代表内定が懸かるレースで、ぴたりと2番手につく新谷を2000メートル手前まで引っ張った。「私が(先導役をやると)聞いたのはクイーンズ駅伝(昨年11月)が終わってからでした」。普段よりハイペースとなったが、流れをつくって先頭交代。その後も好位置をキープし、31分30秒19でゴールした。以前の自己ベスト31分59秒64を30秒近く更新。東京五輪参加標準記録31分25秒00にも迫った。

佐藤 自己ベストを出したいというのが日本選手権の目標だったので、そんなに大きい(東京五輪参加)標準記録を突破したいとか思っていなかった。日本選手権で先頭を走るのは、自分にとっていい経験になると思い、「やってみようかな」と引き受けました。

任務を遂行し、レース後に新谷からねぎらわれた。「優しく『ありがとう』と声をかけていただいてうれしかったです」。積水化学に「最強ランナー」が入社し、チームメートになったのは昨年だ。佐藤は「同じチームにいるのが不思議な感じで、日本の中でも圧倒的に強い方。やっぱりあんなふうに大きい大会でもちゃんと結果を出せるのはかっこいいですし、憧れます」。また「自分がやりたいことを周りに流されずにやっているのはすごいです」。ストイックに競技に打ち込む姿に大きな刺激を受けている。

新型コロナウイルスの影響を受け、当たり前が当たり前ではなくなった。大会中止が相次ぎ、陸上トラック使用も制限された。それでも悲観せずに前を向き、河川敷で黙々と走り込むなど今できることに全力をそそいだ。

佐藤 コロナがあったので、大会とかは少なかったんですけど、少ない大会の中でもある大会に向けて集中して臨んでいけたので、その中でも5000メートルと1万メートルで自分の自己ベストを更新することができたので、すごい充実した1年になったと思います。

初めての42・195キロにも挑んだ。昨年3月、名古屋ウィメンズマラソンは2時間23分27秒で5位。「全然自信はなくて、とりあえずチャレンジしようという気持ちで走りました」。目標タイムは2時間25分台も、初マラソン日本歴代6位を記録。通常練習では20キロほどの距離を走ることが多いが「『後半は足にくる』と聞いていたので、少しでも体力をつけたいと思って、多めに走るように意識していました」。大会直前に40キロ走1度、30キロ走と35キロ走を何度か行い、万全の準備で臨んだ。

佐藤 ずっとマラソンには憧れを持っていて、初めてであんまりマラソンがどういうものか分からなかったので、最後までワクワクした気持ちで楽しく走れました。

駅伝では切り込み役の「1区」を任され、チーム積水躍進の原動力になった。「他の区間を走るよりも自分の中では結構プレッシャーを感じていて、いつも以上に緊張しました」。同10月、福岡で行われた全日本実業団対抗女子駅伝予選会(プリンセス駅伝)では、これまでの記録を6秒塗り替えて区間賞。同社は1区から最終6区まで1度もトップを譲らず、完全優勝の立役者になった。

同11月、地元宮城開催の全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)では、区間3位の好走でチーム史上最高位となる2位へ勢いづけた。佐藤はスタートの松島から第1中継所の塩釜までの7・6キロを走った。「宮城で走るといつも以上に地元の方が応援してくれます」と力にしている。しかし、昨年はコロナ禍で沿道応援自粛が呼び掛けられ、大崎の実家から毎年駆けつける家族も観戦できず、ゴール地点の仙台まで応援団がいない静かな駅伝。それだけに事前に届いた同僚のエールは心強かった。

佐藤 いつもは会社の方がバスとかに乗って結構大勢で来てくださるんですが、コロナの影響でそれがない分、メッセージ動画とかをたくさんもらって、「こんなに応援していただいているんだ」と改めて実感しました。

走ることが大好きな少女で、陸上の世界に飛び込むのは必然だった。「小さい小学校ですけど、持久走大会では6年間ずっと優勝してました。大会に向けてかなり練習し、そういう姿を見て親が勧めてくれました」と中学入学と同時に競技を本格的に始めた。

常盤木学園(宮城)では全国高校総体や全国高校駅伝と無縁。東洋大では2年時の14年に日本学生陸上競技対校選手権(日本インカレ)5000メートルで8位入賞も、安定して好成績を収めてきたわけではない。17年に積水化学に入社すると徐々に頭角を現し、19年の全日本実業団ハーフマラソン優勝、全日本実業団対抗選手権1万メートルで2位(日本人1位)など眠っていた才能を開花させた。

過去の自分との勝負に徹するのが佐藤流で「少しずつ自分のベストを縮めていけるように頑張りたいです」。そのスタンスは崩さないが、新たな目標も芽生えた。

佐藤 日本代表として世界大会とかに出たいです。昔は全然考えられなかったですが、自分があと少し頑張ることができたら日本代表として大会に出れたりするんだなとは思います。

宮城から世界へ-。着々と実力をつけてきた新星が、次のステージへと加速する。

◆佐藤早也伽(さとう・さやか)1994年(平6)5月27日生まれ、宮城・大崎市出身。鹿島台第二小、鹿島台中、常盤木学園、東洋大を経て17年に積水化学入社。自己ベストは1500メートル4分27秒25、3000メートル9分5秒75、5000メートル15分16秒52、1万メートル31分30秒19、ハーフマラソン1時間9分27秒、マラソン2時間23分27秒。家族は両親と兄、弟。156センチ。