数々のドラマが生まれた今年の第101回箱根駅伝において、復路の「赤門リレー」も彩りを添えたシーンの1つだった。
関東学生連合の9区古川大晃(東大大学院)は、29歳にして初出走。8区区間7位相当の好走を見せた秋吉拓真(東大3年)からタスキを受け、区間18位相当で駆け抜けた。
東大大学院の博士課程4年という経歴や同大の八田秀雄教授(65)からの給水でも話題となった古川。復路を走り終えた1月3日には、2年ぶりに結成された連合チームの意義についても思いを口にしていた。
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■29歳で初出走に「晴れやか」
1月3日。戸塚中継所。
古川は秋吉から白色のタスキを受けると、右腕を高く突き上げた。沿道からは東大の応援歌「ただ一つ」が聞こえてきた。
熊本大、九州大大学院を経て、東大大学院へ。連合チームのメンバー入りは3度目だが、これが初出走だった。
「素晴らしい経験をすることができました。苦楽をともにした秋吉とタスキをつなぐことができて、晴れやかな気持ちでスタートを切ることができて、ありがたかったです」
胸には感謝の念が込み上げていた。
■恩師との給水は「誰にもらえたら力が出るかなと」
10キロ付近では熊本・八代高時代の小田原晃先生、15キロ付近では熊大時代から気にかけてくれていた八田教授から給水を受けた。
恩師からの力水は、自ら懇願したものだった。
「苦楽を共にした同期からもらう、というのが一般的だとは思いますが、僕には同期がいなくて。誰にもらえたら力が出るかなと考えました」
とりわけ運動生理学界の第一人者とも呼ばれる八田教授からの給水は、大きな話題を呼んだ。
2人の関係性が深まったのは、6年半前の初夏。神奈川・平塚市で開かれた日本学生個人選手権5000メートル1組で4位と健闘した時のことだ。かねて面識のあった教授から「君、すごいね。速いね」と声をかけられた。
「その年の3月ころに1度だけごあいさつをしたことがあったんですが、学生個人の時は急に声をかけていただきました。喜んでくださって、熊大生だった僕をその時から励ましてくださって。長い付き合いになります」
そこから縁は続いた。21年に東大院へ進学する際にも、快く相談に応じてくれた。八田教授の研究室には在籍しなかったが、週1度のゼミには参加していた。教授はいつも、古川の走りを楽しみにしてくれたという。
「僕の陸上を愛してくれるというと大げさですが、熱く応援してくださりました」
箱根駅伝の「給水要領」では給水員について「各チームの部員あるいは各チームが許可した大学関係者であること」と定められていることから、古川は教授への給水を依頼。最初は驚いていたが「任せてもらえるなら何でもする。熊大の頃から応援してきた古川を近くで応援できるなんて、これほどうれしいことはない」と喜んでくれた。
「(大会前も)毎日のようにメールで励ましのメッセージと給水のやりとりをしていて。右から渡すか、左から渡すか、どのくらい入れるか、と。丁寧に付き合ってくださって」
給水はたった数秒の出来事ではあるが、2人はワクワクしながらその時を待った。
■胸に込み上げた後悔と喜びと
迎えた本番。古川は予定通りに当日変更で9区を走った。
八田教授は横浜駅前の給水エリアで笑顔で待ち受けていた。
右側からボトルを手渡し、数十メートルにわたって並走。最後は両手を突き上げながら、エールを送ってくれた。
「ごめんなさい、先生が何て仰ったのかは覚えていないんですけど」
古川はにこやかに笑いながら続ける。
「打ち合わせの段階では、ボトルを1本渡せればと思っていたんです。そしたら2本とも渡していただいて。八田先生、こんなに走れるんだと感動してしまいました」
教授からの力水を受け、鶴見中継所への残り約8キロを懸命に走った。
結果は区間18位相当となる1時間11分52秒。チームの総合成績は16位相当だった。目標としていた8位相当には遠く及ばなかった。
「正直、一番は悔しいです。目標に届かず、競技者として悔しい思いです」
納得のいく走りとはならず、悔しさを強くにじませた。同時に胸には感慨も込み上げた。
「たくさんの方が遠方から来てくださって、素晴らしい応援に囲まれてこの舞台を経験できて、本当に幸せだったなと思います」
春からは京都工芸繊維大で博士研究員となる。かみしめるような口ぶりで「幸せ」と口にした。
■連合チームは「希望を与えてくれる制度」
「僕には同期がいなくて」
恩師へ給水を頼んだ理由をこう説いたが、決して孤独だったわけではない。
取材では「仲間」という言葉を発する場面があった。
「連合チーム復活に向けて一緒に頑張ってくれた仲間からの応援のメッセージがあった。そういう人たちの気持ちも背負って、今回は走りました」
連合チームは03年の第79回大会から関東学連選抜チーム(当時)として編成されるようになったが、前回の第100回大会では結成されなかった(第90回も非編成)。主催の関東学連内では編成に反対する意見もあり、第101回大会以降も編成可否は定まっていなかった。
存続が危ぶまれたが、古川は復活を願う学生たちとともに粘り強く奔走。今回は2大会ぶりの編成となり、初出走を果たすことができた。
現時点で来年以降の編成は未定だが、言葉にひときわ力を込める。
「いろいろな背景の人に希望やチャンスを与えてくれる。本当にそう思います。この制度がなかったら、僕は走れなかったですし、秋吉とタスキをつなぐこともなかった。いろいろな人に一生ものの経験と、希望を与えてくれる制度だなと思います」
復路の日の夜6時。古川は東京大学と印字されたジャンパーを羽織り、東京・大手町の読売新聞東京本社ビル前に立っていた。隣には秋吉の姿があった。
「みんなと写真を撮っていたりしたら、僕たちだけになってしまって」
暗くなったビル街に白い息が浮かぶ。2人は疲労を感じさせない表情で、記者からの記念撮影に応じた。
「ありがとうございます! 楽しかったです!」
古川はにこやかに頭を下げた。
仲間と恩師と駆け抜けた箱根路に、笑顔で別れを告げた。【藤塚大輔】
◆連合チーム 出場権を得られなかった大学にあって、予選会での個人記録が優秀な選手を選抜して構成される(留学生は選出されない)。第79回のチーム数増加に併せ「関東学生選抜」が初めて編成された。オープン参加扱い(参考記録)だったが、第83回~第89回までは正式参加となり、記録も順位も付いた。第90回は編成されなかったが、学生たちが議論を重ねた上で第91回から「関東学生連合」として復活。再びオープン参加となった。第100回では編成されなかったが、第101回で再結成。主なランナーには第80回で金栗四三杯受賞の鐘ヶ江幸治(筑波大)、第83回、第85回でともに6区で好走した川内優輝(学習院大)、第93回大会4区出走でパリ五輪マラソン代表の小山直城(東農大)などがいる。