「なぜ、こんなにオリンピックに行きたかったのだろう」

引退直後、ずっと考えていた。人生を懸けて努力しても、もしかしたら行けないかもしれないのに、ここまでどうしてオリンピックに行きたかったのだろうと疑問に思っていた。

現役時代には気付かなかったことが、引退後さまざまな視点に出会い気がつくことが多い。

「なぜオリンピックに魅了されて、生活の全てを懸けて力を注いだのか」。こんな疑問が強く沸き起こってきたことで、自分は「理由が欲しいタイプ」だったのかと新しい側面に気がついたりもした。

その気づきには、いろいろな現場での経験があった。その1つが「オリンピアン研修会」だ。

年に平均3回行われる、JOCが主催する研修会だ。その中に、オリンピックの歴史を学ぶセクションがある。

12月に福岡で行われた際には、「オリンピックの原点から未来へ」というテーマで国士舘大学の田原淳子先生が講義してくださった。

いつも内容が分かりやすく、古代から近代に至るオリンピックの歴史や理念、価値などを話してくれる。

ここで学んだことは多い。オリンピック憲章の内容、古代オリンピックの復活が近代オリンピックに繋がっていること。ただの運動会ではない、平和の祭典だということ。さまざまな思いを含んだこの大会が存続してきた背景。たくさんの競技会がある中で、どうしてオリンピックが現在のような価値を持つようになったのか、という歴史をこの研修会で学ぶことができている。

何度参加しても、毎回異なるインプットがある。今回も新たに興味を引かれることがあった。

現代の考古学者が最も興味があるとされている古代オリンピック。世界中の研究者などによって古代オリンピックのことが明らかになっている。

今回は引用参考文献についてだった。それは「驚異の古代オリンピック」、英語題“The Naked Olympics”という書籍だった。

「絶対読みたい!」。そう感じ、すぐその帰りにインターネットで購入した。1冊を読むのにはそこまで時間は要さない。移動が多いのでその時間を利用して読むことができる。

一番印象に残ったのはこの一文だ。

「スポーツを愛する古代のファンが夢中にならないはずがない。哲学者エピクテトスが言ったように、オリンピックのためなら日々の屈辱も苦悩も、たいした代償ではなかった。現代のある選手がいみじくも言っている。苦しまなければ、得るものはない」。きっとこの部分の英語は"No Pain, No Gain"だろう。

このコトバから、ある若者との会話が思い出された。

「スポーツの一番の魅力はアスリートの頑張っている姿、どれだけ努力したのだろうということ。また、その姿を見て自分ももっと頑張ろうという気持ちになるのではないですか?」「僕は、スポーツはシンプルにそこに魅了されます」

私は、いろんな場面で、いろんな立場の方とお話をしてスポーツの可能性や、役割をディスカッションすることがあるが、23歳という勉学に励む学生からのこのコトバで、私は見失っていた魅力を思い出した。

日本は来年からラグビーW杯2019、東京オリンピック・パラリンピック競技大会、関西ワールドマスターズゲームズ、さらには2025年に大阪万博まで開催される。ある意味、世界のプラットフォームになる機会が多くある。

数々のチャンスがこれからの日本に訪れるが、アスリートの努力する姿に感動し、それを観戦した人々が何かを頑張りたいと思えることが魅力の1つであるんだと、再認識した。

本の中に、古代オリンピックのアスリートを表した一文があった。

「甘いデザートを我慢し、どんなに暑い日も寒い日も食事は決められた時間だけ。冷たい水を飲んではならず、ワインさえ制限される。試合になれば相手を叩きのめし、叩きのめされる。手首を捻挫して、足首をひねり、口に詰まった砂を飲み込み、鞭で打たれる。そこまでしても最後に負けるかもしれない」

現代にも通じる。アスリートの毎日は同じようなことの繰り返しに思えるが、日々戦いだ。良い日もあれば良くない日もある。不安にもなるし、自信を持てる日もあるだろう。大会まで1日も無駄にはできない。

今も大会に向けて努力しているアスリートがいる。その人たちを心から応援したいと改めて思った。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)