64年東京オリンピック(五輪)柔道男子中量級金メダルで「昭和の三四郎」こと岡野功氏(75)が24日、大勝負前の準備力の大切さを伝えた。東京・味の素ナショナルトレーニングセンターで行われた男子代表強化合宿に講師役で参加し、約1時間半にわたって崩しの技術を伝授。相手の力を利用した小内刈りなどのキレのある足技や、身のさばきなどを16年リオデジャネイロ五輪73キロ級覇者の大野将平(旭化成)らに指導した。同100キロ超級銀メダルの原沢久喜(百五銀行)は熱心にメモも取っていた。

岡野氏は柔道の原点である「小よく大を制す、柔よく剛を制すにある」を貫き、階級制の五輪は通過点としながらも20歳で制した64年東京五輪を思い返した。

 「当時は日本代表に選ばれることが大変だった。勝って当たり前の時代だし、何があっても負けられない。日本選手団全員が『打倒ヘーシンク』だった。(五輪で)優勝しても喜べず、責任感から解放されて安堵(あんど)した。同時に、当たり前のことをやり遂げることがこんなに大変なのかと感じた」

東京五輪前の64年春、稽古中に右膝を負傷して、約3カ月稽古が出来なかった。「『負けたらどうしよう』と、ナーバスになって不安に襲われた」。選手村に入っても稽古以外は部屋にこもり、人との接触を避けた。五輪では攻めに徹する本来の柔道は出来なかったが、本番に向けて強化した寝技を多用し、勝利を重ねた。大舞台での重圧に打ち勝つためにも「準備力」の大切さを強調し、「技術を磨く準備は2カ月前には終えておく。そうすれば試合が近づいた時に気持ちをコントロールできる」と伝えた。五輪翌年に世界選手権、67年に体重無差別で争う全日本選手権を制して「3冠」を達成した。

この日は、76年モントリオール五輪でコーチを務めた時以来となる43年ぶりの代表指導だった。味の素ナショナルトレーニングセンターにも初めて足を踏み入れた。最後は、20年東京五輪代表候補たちへ「ラグビーW杯ではないが、人々に感動を与えるような試合をしてほしい。その延長線上に勝利はあるはず。『これぞ、日本柔道』という柔道を見せてほしい」と期待した。

柔道界のレジェンドの熱血指導を受け、五輪2連覇を狙う大野は「響くものがあった。岡野先生は圧倒的な達人感があり、私の柔道の最終地点」と感銘を受けた様子で、個別指導を依頼する考えも示した。金野潤強化委員長も「指導、動きともに素晴らしかった。52歳の自分でもあそこまで動けない。貴重な機会で、本当に感謝しかない」と話していた。【峯岸佑樹】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

男子柔道合宿で選手にアドバイスする岡野氏。後方は井上監督(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿で選手にアドバイスする岡野氏。後方は井上監督(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿に参加した岡野氏(左)は大野に声をかける(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿に参加した岡野氏(左)は大野に声をかける(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿で実演して選手にアドバイスする岡野氏(中央)(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿で実演して選手にアドバイスする岡野氏(中央)(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿で選手にアドバイスする岡野氏(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿で選手にアドバイスする岡野氏(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿で井上監督(左)は、岡野氏の珍解答に笑顔を見せる(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿で井上監督(左)は、岡野氏の珍解答に笑顔を見せる(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿に参加した岡野氏(中央)は井上監督、大野と記念撮影(撮影・山崎安昭)
男子柔道合宿に参加した岡野氏(中央)は井上監督、大野と記念撮影(撮影・山崎安昭)