【わたしのツクリカタ】宇都宮ブリッツェン小野寺玲編〈2〉自主退部とブラーゼンへの感謝

高校時代に出場したレースで表彰台に上がった宇都宮ブリッツェンの小野寺玲(左)

アスリートの生い立ちや人生のターニングポイントを聞く「わたしのツクリカタ」。ジャパンサイクルリーグ(JCL)は、3月25日カンセキ真岡芳賀ロードレース、26日カンセキ宇都宮清原クリテリウムで開幕します。シリーズ開幕に合わせ、JCLの昨年度年間王者で宇都宮ブリッツェンのエース、小野寺玲(27)に話を聞きました。全4回の2回目。高校部活の自主退部、那須ブラーゼンへの感謝の思いなどを語りました。(取材・構成=沢田啓太郎)

◆小野寺玲(おのでら・れい)1995年9月3日、横浜市生まれ。小学生のころに栃木・鹿沼市に移り、作新学院高に進学。卒業後の2014年に那須ブラーゼンに入り、16年から宇都宮ブリッツェンに移籍した。自ら「音速戦士オノデライダー」と名乗り、ブログ等で発信している。身長176センチ、体重64キロ。洋菓子カヌレ作りの腕前はプロ並み。

-小さいころは飛行機のパイロットにあこがれていたとか

小野寺 幼少期の最初の夢は「コックピットになりたい」って言ってたらしいです。

-コックピットそのものですか?

小野寺 機械ということを知らずに言ったらしいですけど、本当に飛行機が好きで憧れていて。競輪選手を目指して高校に入ったあとも1回、航空自衛隊の航空学生試験を受けています。

-結果は

小野寺 高校3年生の時の受験だったんで、那須ブラーゼンからのオファーと試験がかぶっていたんです。1次試験に落ちたらそっち(那須)を選ぶと決めていたんで、必然的に那須ブラーゼンに入りました。

-高校の自転車部も自主退部した

小野寺 単純に高体連でロードバイクのレースが少なかったので。競輪選手を目指して入部したんですけど、いざやってみたら競輪に必要なスプリント力が自分にはないということに気づかされて。逆に練習のなかで、長距離とかロードレースの種目の方が自分は速く走れることを知ったので、2年生のころにはロードレースの方に気が傾いていました。もっとロードレースに出たいんですが、高体連にはあまりレースがない。部の監督に「ロードレースに出たい」と言ったら「じゃあ部活辞めるしかないんじゃない?」って言われて。自主退部して、個人で実業団に登録しました。高校3年生の時は家族にいろんなところに連れていってもらって、実業団のレースに出てました。

-何というチームに所属したのですか

小野寺 最初は無所属です。弟がブラウ・ブリッツェンに入っていたということもあって臨時トライアウトを受けさせてもらって、3年生の後半はブラウ・ブリッツェンのジャージーを着て走らせてもらいました。

-登録、所属が必要なんですね

小野寺 はい、でも無所属でも救済処置として、どこのジャージーも着られないですけど、一応出ることはできます。

-競う相手は当然、社会人

小野寺 まあ、大人たちですよね。そのなかでブラーゼンの当時の監督に目をつけていただいて、高校卒業したらブラーゼンで走らないかというオファーを受けました。

-プロになる決断をされたときにご家族の反応は

小野寺 うちの家族は昔から、やりたいと言ったことをやらせてくれて、自由に選択させてくれました。当然、反対もされなかったし、まずはチャレンジしてもいいんじゃないかって。当時は給料も高くないし、親からしてみれば大学に行かせるような気分で見守っていたんじゃないですか。

-4年間の期限付き?

小野寺 別に期限を切られていたわけじゃなくて、やれるところまでやってみたらという感じでした。

-ブラーゼンの時はケガをされていた

小野寺 ちょうど那須に入る前にヒザをちょっと患っていて。(ブラーゼン時代の)前半はあまり走れませんでした。走れたのは実質1年半でしたけど、ブラーゼンでの2年の間にケガを克服できました。

-どういうケガだったんですか

小野寺 単純にヒザを痛めました。ブラーゼン関係の治療院だったり、選手間のコネを使っていい先生にみてもらいました。時間をかけてしっかり改善する時間をいただけたので、おかげで克服できました。

-精神的にはしんどかったでしょう

小野寺 レースに出られないし、結果もなかなか出ないし、気持ちとしてはブラーゼンにいた2年間でやめようと思いました。ただブラーゼンの2年目、来年の契約のタイミングでブリッツェンから声をかけていただき、可能性があるんだったらチャレンジしようと思い、移籍を決断しました。

-周囲に恵まれている

小野寺 最初に入ったチームがブラーゼンで良かったと本当に思います。いま社長をやられている若杉(厚仁)さんにはアドバイスをいただいたり、すごくお世話になりました。オファーのタイミングとかもそうですし、本当に運が良かったかな。いろんなことが重なりに重なって、今に至っています。那須の地元の方々にはとてもお世話になったし、本当に人には恵まれたと思います。

-ご自分で引き寄せたのでは

小野寺 きれいに言えばそうなのかもしれません。そのチームを選んで入り、そこで出会った方々のおかげで選手を続けられる環境が整って、という感じだったので。人との出会いは本当に大事だな、って感じましたね。(つづく)

【お知らせ】宇都宮をホームにしているプロスポーツクラブの情報を1つのツイッターアカウントに集めています。日刊スポーツのオリジナルコンテンツはそこでも告知します。アカウント名は@u_3Proです。フォローお願いします!