日本の名フィギュアスケーターや指導者が、心を動かされた演技を振り返る連載「色あせぬ煌(きら)めき」。第3回は紀平梨花(17=N高東京)ら、多くの実力者を指導してきた浜田美栄コーチ(60)。72年札幌五輪を現地で観戦した小6の少女は、女子で銅メダルを獲得したジャネット・リン(米国)の演技に胸を打たれた。その思い出は「1枚の写真」とともにある。

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まさに偶然の産物だった。今から48年前の72年2月8日。前日7日に行われた札幌五輪女子シングルの結果が、テレビや新聞を通じて全国に報じられていた。

インターネットによる速報などない時代。現地で演技に熱視線を送った浜田は、当時小学6年生だった。

「演技翌日の朝日新聞に髪の毛を2つにくくった『誰が見ても私』という写真が掲載されたんです。友達には内緒で見に行っていたんですが、それでみんなが知って、クラスの友達にお土産を買って帰りました」

銅メダルを獲得した当時18歳のリンは、7日のフリーの演技中にスピンで転倒。のちに日本中から「札幌の恋人」「銀盤の妖精」と人気を集める、五輪の象徴的なシーンだ。尻もちをついたリンを捉え、新聞に掲載された写真には、最前列の観客が驚いている様子が納められていた。その中央にいたのが、浜田だった。

「どうしてあんなに、いい席だったのかは分かりません。父が体調を崩して入院していたけれど、私があまりにも楽しみにしていたので、母が連れて行ってくれました。フリーだけを見ることができたんです」

コンパルソリー(規定)で4位発進だったリンは、赤の衣装で登場した。スケートを本格的に始めて3年ほどだった浜田は、試合前練習からとりこになった。

音楽に要素をとけ込ませ、スピンやジャンプの間のつなぎにも、飽きさせない工夫が施されていた。唯一流れが途切れたのは、あの転倒。それでもリンは笑顔で滑り続けた。ジャッジの1人が芸術点で満点の6・0点を付けるなど、フリーは全体のトップ。金メダルを獲得したシューバ(オーストリア)、銀メダルのマグヌセン(カナダ)以上に、目の前を滑るリンの姿が少女の心に刻まれた。

「全てが自然な動きで、力を使っていないよう。風とともに滑っている感じで、狙ったり、こびたりする演技ではないんです。本当に天使が降りてきたようでした。表情に優しさや、人柄がにじんでいて、京都に帰ってから『ジャネット・リンみたいになりたい』と言っていた記憶があります」

浜田のスケート人生で、リンの演技は指標となった。同志社大を卒業後にコーチとなり、18年平昌五輪4位の宮原知子(関大)、紀平らを世界の大舞台へ送り出してきた。女子でも複数の教え子がトリプルアクセル(3回転半)を習得し、4回転にも挑戦。そんな光景が日常的になっている。

「あの時のジャネット・リンの演技は、2回転半が最高です。でも、今見ても彼女の演技が大好きで、本当にすてきだと思います。確かに現在の女子よりもジャンプの回転数は少ないです。それでも、教え子たちが当時の映像を見た時に『ダブル(2回転)だし…』で終わるのではなく、あの演技の良さを分かる選手になってほしいと思います」

多忙な毎日を送る浜田だが、今も時間を見つけてはリンの映像を見返す。それは高度な技術を追い求める日々から少し離れるために、大事にしている時間だ。

「技術の進化も大切ですが、同時にあの時代のスケートの良さも見失ってはいけないと思っています。原点に戻る時間なんです。あの演技を見ると、観客席にいる右も左も分からない私も見える。『どうしてこの世界に身を置いているのか』を振り返る機会にもなります。私にとって、いろいろな意味での教科書です」

立ち止まり、過去を振り返った時に、1枚の写真はヒントを与えてくれる。(敬称略)【松本航】

◆浜田美栄(はまだ・みえ)1959年(昭34)10月29日、京都府生まれ。現役時代は全日本選手権10位が最高。同大卒業後にコーチへ転身。太田由希奈、沢田亜紀、宮原知子、本田真凜、白岩優奈、紀平梨花らを指導し、世界レベルの選手を多く育成。今春から木下スケートアカデミーのゼネラルマネジャーに就任。国際大会で活躍できるスケーターの育成に力を注ぐ。

◆ジャネット・リン 1953年4月6日、米イリノイ州シカゴ生まれ。歩き始めたと同時にスケートを始め、4歳でエキシビションに出場。66年の全米ジュニア選手権で、世界でトップ選手しかできない3回転サルコーを決めて優勝した。14歳で出場した68年グルノーブル五輪で9位、72年札幌五輪で銅メダル獲得。69~73年まで全米選手権5連覇。73年に女性アスリートの当時最高額145万ドルでプロ転向。98年には長野五輪の親善大使を務めた。01年に世界殿堂入り。155センチ。

18年12月、フィギュアスケートGPファイナルで優勝が決まり、両手を上げる紀平梨花(左)と浜田美栄コーチ
18年12月、フィギュアスケートGPファイナルで優勝が決まり、両手を上げる紀平梨花(左)と浜田美栄コーチ