宮里優作が逆転賞金王!妹へ、父へ…流した涙のワケ

18番、ウイニングパットを決めて感極まる宮里優(撮影・丹羽敏通)

 極上のシナリオを完結させた。逆転には優勝が必須の一戦。狙って勝ちきった宮里優の目に涙があふれた。「うれし涙というより、やっと1年が終わったっていう感じでした。達成感よりも解放感が大きかった」。一瞬、感傷的になっても、すぐに持ち前の明るさが顔をのぞかせる。大観衆と万歳三唱で喜び、優勝スピーチでは「気持ちいいですねえ~。こんなことになるとは…ちょっとだけ思ってましたけど」と笑わせた。

 2番で1メートルを外しても動じない。自らに問い掛ける。ラインか、ストロークか、タッチか。「ミスした時、今、何が悪かったのかを毎回しっかり処理する。それ(原因)を全部技術面に求めてしまうと、手が動かなくなる。読みばかりでもストロークがおろそかになる。1パット1パットの消化の仕方が変わった」。昨季部門別73位と低迷した平均パットで今季トップに立った裏には地道な積み重ねがある。3番から3連続バーディー、6番パー5はピンそば1メートルに2オンでイーグル。一気に抜け出した。

 宮里家を背負っている。9月に藍さんが現役を引退。「(宮里家の)露出がなくなるので、僕が背負っていかないといけない。今まで散々、藍ちゃんにはお世話になったから」。家では紗千恵夫人(41)に笑って語りかけるのが常だった。「宮里藍のファン」を公言する兄は尊敬の念を強調する。「彼女はいつまでたっても宮里藍。それが色あせることはない。彼女を超えるとしたら、メジャーで勝つしかない。でも、頑張らなきゃって思いはある」。

 ツアーを背負っている。昨季就任した選手会長職は確かに骨が折れる仕事だった。今季は欧州ツアーの予選会挑戦も見送った。しかし「『大変だね』と言われるのがすごく嫌だった。選手会長が外れくじみたいに見られるのが納得いかなかった。やっていなかったら、ここまで賞金王争いに絡めなかったと思う。やって良かった」。海外で戦える選手を育てるためのトーナメントセッティングの意見交換、ギャラリーを喜ばせるための練習場の動画撮影解禁や写真を撮れるエリア拡大、インスタグラムでの情報発信…。身を粉にしながら、最高の結果を出した。

 そして、18番グリーンの脇で抱き合い、ウイニングボールを渡した父優さんへの思い。「いい特効薬になったと思う。まだまだ元気でいてほしいし、僕のコーチもしてほしい。ゴルフを始めた長女のコーチングもしてもらわないと困る」。名前の通り優しさにあふれる男が、みんなのために頂点に立った。【亀山泰宏】

 

 ◆宮里優作(みやざと・ゆうさく)1980年(昭55)6月19日、沖縄県生まれ。宮里3きょうだい(兄聖志、妹藍)の次男として、父優さんの指導で3歳からゴルフを始める。01年日本アマ優勝、日本学生は00年から3連覇。大阪桐蔭高を経て進んだ東北福祉大在学中からプロツアーに出場し、01年三井住友VISA太平洋2位など出場4試合連続トップ10入り。03年にプロデビューし、16度目の最終日最終組となった13年日本シリーズJT杯で初優勝。ツアー通算7勝。16年から選手会長。170センチ、70キロ。