ウッズがゴルファーのイメージ変革 皆が真似て進化

<平成とは・ゴルフ編(1)>

「平成」は日本の年号、日本の“くくり”だが、この30年数カ月のゴルフ界で最大のトピックは、タイガー・ウッズ(米国)の登場だった。平成8年である96年に20歳でプロ転向、強烈な個性と大迫力のプレーで旋風を起こし、ゴルフ界の常識を変える革命児となった。影響力は世界中に広がり、日本のゴルフ界もまたウッズによって変えられた。2週前のマスターズでは劇的な復活優勝を飾り、そのドラマ性も唯一無二の存在と印象づけた。

      ◇       ◇

「白人のスポーツ」とされていたゴルフ界に風穴をあけた。偏見や雑音は圧倒的な強さでねじ伏せた。黒人の父の強靱(きょうじん)さ、アジア人の母のしなやかさを併せ持ち、そのスイング、飛び抜けた飛距離は驚きと熱狂を呼んだ。97年にマスターズ制覇、ウッズを批判する方が悪役扱いになった。98年に世界ランク1位に君臨し、00年にキャリア・グランドスラムを達成。やゆする者は淘汰(とうた)された。戦いは「ウッズVSその他の全員」という構図だった。

ゴルファーのイメージを変えた。メタボ体形のプロが大手を振っていた中で、ウッズは鍛え抜かれたアスリートだった。「トレーニングはオフのもの」という主流を覆し、ラウンド後も筋力アップに励んだ。来日中、朝に宿泊ホテルの周囲を走る姿があった。米ツアーでも日本でも、刺激された選手が肉体改造にいそしみ、トレーニングを日課のようにした。現在はすっかり定着している。

「理想」「お手本」として、皆がウッズをまねた。レーシックで視力回復すれば、多くのプロが続いた。使用パターは日本の一般ゴルファーの間でも大流行。男子はもちろん、女子ジュニアも「あこがれの選手はタイガー」と飛距離を求めた。「マイノリティー」という言葉、ナイキの赤いシャツは、ゴルフの枠を超えて浸透した。

ウッズ人気で米ツアーの賞金額は高騰。日本ではBS、CS放送、インターネットの普及もあって、野球やサッカーと同様にファンの海外志向が高まった。

そんなウッズの絶頂期、ともに戦っていたのが米ツアー3勝の丸山茂樹(49)だ。「名前のインパクト、パーソナリティー、パフォーマンス、実績と、すべてでゴルフ界NO・1。それを目の前で見られたことが僕の宝物」と話す。ウッズのスイングは「100年後も『教材』になる完成形」とし、現在の松山英樹、A・スコットらはその“フルコピー”と例える。

00年にウッズは丸山とマッチプレーで対戦、自慢のドライバーではなく、アイアンや3番ウッドで刻み続け、快勝した。丸山は一時的に「ドライバーを使わなくても、僕に勝てるってこと?」と半ばナメられた気分だったが、実は違った。「マルは調子に乗せると、ヤバイから」。ウッズは常に丸山の後ろから先に打ってピンに絡め、重圧をかける戦略だったと明かした。これに丸山は「本当にすごい。僕なんかを相手にそこまで考え、作戦を用意するなんて」。すべての相手をリスペクトし、対策を練り、手を抜かない。勝負への執念に脱帽した。

米ツアーだけで通算81勝、生涯獲得賞金は約1億1800万ドル(約130億円)超。経済誌フォーブスの「世界で最も稼ぐスポーツ選手ランク」では08年の1億1500万ドル(約127億円)を最高額に、02年から10年連続を含む計11回で1位と、スポーツ界の頂点を極めた。一方、不倫騒動の際は「スポンサーに約120億ドル(約1兆3200億円)の損失を与える可能性」と報じられるなど、数字は常に規格外だ。

ウッズ効果で日本でも外資系ゴルフメーカーが活況になり、景気が冷え込む中で救われた。「ウッズのおかげでゴルフという競技、ゴルフ業界全体のステータスが底上げされた」と、日本ゴルフトーナメント振興協会の矢内樹二氏。石川遼(27)は「50%はタイガーの、50%は丸山さんの影響。僕らの世代はすべての基本がタイガーだった」と、米ツアー挑戦は特別ではなく、当然とする。そんな「タイガー・チルドレン」は世界に無数にいる。

ウッズ本人に「平成」の概念はないだろうが、偶然にも“平成最後のメジャー”を感動的な優勝で締めくくる形となった。故障や私生活のトラブルでスーパースターの座を手放した43歳の男の勇気、どん底からはい上がった姿を見せた。

ガムをかみながらのプレーも話題になり、すぐにその効果が取りざたされた。丸山は笑って言った。「これ、日本でもはやっちゃうんじゃない?」。【岡田美奈】