プレー経験あるオーガスタ会場思い出し 松山の快挙に感動の涙

13番、アプローチショットする松山(ロイター)

ゴルフの米男子ツアー、マスターズで松山英樹(29=LEXUS)が日本人初のメジャー制覇を達成した。

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松山が、最終18番の第2打を打って、花道を歩いていく。コロナ禍で少なくなったとはいえ、グリーン周りを囲んだパトロン(観客)たちが、スタンディングオーベーションで松山を迎える。こんなシーンが来るとは…。テレビを見ていて涙がこぼれた。その18番は第2打地点から、映像で見るより、かなり上りがきつい。強靱(きょうじん)な体の松山もさぞ72ホール目の急坂はきつかったろう。

30数年前、私も日本人選手を追って、この上り坂を何度も息を切らして上ったものだ。ところで、唯一この坂をプレーヤーとして上ったことがある。そんな思い出話を聞いて欲しい。

1987年のマスターズだった。82年大会に取材にいっていたので2度目だった。その年は地元オーガスタ出身のラリー・マイズが悲願の優勝を目指す、オーストラリアのグレッグ・ノーマンをプレーオフ2ホール目の11番で劇的チップインバーディーで下した年だった。夕暮れのオーガスタに歓喜のマイズと、落胆のノーマンのコントラストが忘れられない。

その翌日の月曜日。外国人プレスがオーガスタを経験させてくれる特典があって、私は幸運にも抽選で当たったのだった。学生時代はゴルフ部で腕に覚えはあった。オーガスタをどれくらいで回れるのか、わくわくどきどきした。実戦記に入る前に、ゴルファーあるあるの言い訳を。

当然ながらクラブは日本からは持ってこなかった。その年は、ジャンボ尾崎さんの通訳をしていた台湾の大学教授、周さんのお宅にホームステイしていた。その周さんの高校生の息子さんのクラブを借りた。ドライバーはパワービルト製のもちろんパーシモン。長さは当時では長い44インチあり、シャフトはスチールで鉄のように硬かった。アイアンもしかり。もうひとつ、ゴルフシューズもなく、取材用の当時はやった、靴底にゴムのイボがついた、通称「イボイボシューズ」を履いてプレーすることになった。これが、後に悲劇を呼ぶことになる。

さあ、1番のティーオフだ。天気は、この日の最終日のように最高。同伴者は、某新聞社のニューヨーク支局の人と、日本の雑誌社の記者とカメラマン。キャディーさんは青年2人。順番は忘れてしまったが、次々とティーショットしていった。私の第1打は、ヒールに当たるも右フェアウエーバンカーの左のフェアウエー。その時、キャディーさん同士がめくばせをしていた。あとで考えると、ティーショットを見て力量を量り、この組を2対2に分けていたに違いない。そう言えば、同じキャディーさんばかりが、私に「ここ打て」「ココ狙え」と親切にアドバイスしてくれていた。

1番はなんとかボギー。2番はパー5。この日の松山もバーディーを取っていたように、オーガスタはパー5がおいしい。ティーショットは左フェアウエー。つま先下がりのライだった。意気揚々と5番ウッド(クリーク)で第2打。すると、バックスイングで足もとがツルッと滑って大チョロ。じゅうたんのようなつるつるのフェアウエーに朝露が降りていて、イボイボシューズは見事に滑った。以後、何度も滑った。緑のじゅうたんのようなフェアウエー、おそるべしだった。とにかく、アウトはパーもなく「49」と辛うじて50を切った。出場選手も苦しむアウトを私もご多分にもれず、苦しんだということである。

インに入る。11番からアーメンコーナー。ピン位置は最終日のままだ。11番のピン位置はグリーン左奥。すぐ向こうは池だ。マイズはグリーン右からよくピンに突っ込んでチップインバーディーを奪ったものだと感心した。12番はパー3。7番アイアンでワンオンに成功するも、絵に描いたような3パットボギー。そして、13番でついに初パーをとり、ウキウキして14番。日本のゴルフファンも映像で見て、14番のグリーンがものすごい2段グリーンになっていることがわかると思う。それは、当時から同じだった。グリーン手前に2オンしたが、ピンは段の上。キャディーさんがこの辺を打てと言うが、力加減がわからない。案の定、打ったボールが傾斜を登り切らずに、今打ったところより下がってしまった。痛恨の4パット。だから、14番は難しい。

15番のパー5は池ポチャ、16番パー3も、左バンカー越えにあるいつものピンを狙ったがまたも池ポチャ。そして、ようやく18番に。ティーショットはやや右ながらグリーンを狙える位置。またもクリークの登場だ。この日、松山は第2打をピッチングウエッジで打っていた。なんという飛距離の差。ティーグラウンドも今とは比べものにならないほど、前にあったというのにである。しかし、そのクリークショットは高く舞い上がり、グリーン奧に2オン。ピンはこの日同じ左手前だ。上からは恐ろしく速い。それが、なんと奇跡的にうまくいき、2パットのパー。結局、インは「48」でトータル「97」で激闘は終わった。

マスターズには89年にも取材に行き、3大会見せてもらい歩き回った。このラウンドの経験もあり、私の特技は映像が映った瞬間に「何番のグリーン」と分かることだ。これは、オーガスタ・ナショナルGCが1ホールごとに顔があるからで、やはり世界一美しいコースであると言える。

長々とこんな、思い出話に付き合っていただきありがとうございました。オーガスタをプレーできると感激で打ち震えたあの朝。同じ月曜日の今朝は松山の快挙に感動して涙した。あれから34年か。長かったものだ。【82、87、89年マスターズ取材=元ゴルフ担当町野直人】