メジャーVは「革命」挑み迫った丸山茂樹だから知る重圧/松山英樹連載10

丸山茂樹(左)と話す松山英樹(18年7月18日)

<夢のマスターズ 日本人初V!!>

夢が現実になった。マスターズで松山英樹が日本男子初のメジャー制覇を成し遂げた。

松山にとって念願だった勝利は、日本のスポーツ界にとっても快挙。さまざまな人物、側面から「夢のマスターズ 日本人初V!!」と題した連載で、この偉業に迫る。

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松山がマスターズを制覇するまで、メジャー優勝に届きそうで届かなかった日本選手は何人もいた。その中の1人が丸山茂樹(51=セガサミーホールディングス)だ。02年全英オープンで順位こそ5位だったが、優勝したエルスとはわずか1打差(4人プレーオフ)と、最も頂点に近かったといえよう。

以前に丸山は「日本人がメジャーに勝つなら、全英が最も可能性があるんじゃないかな」と話したことがあった。米国のコースではパワーが有益なのに対し、全英は風やハザードに対応することが鍵を握り、小柄な日本人でも対抗できるという意味だ。実際に02年全英は第3日途中まで激しい風雨や寒さの難条件の中、丸山の小技と粘りのゴルフが光った。

ウッズと回った予選ラウンドを終えて首位タイ、第3日で3打差3位も、最終日9番を終えて首位に立った。アマ時代の幾多のタイトル、それまでの日本ツアー9勝、米ツアー2勝の経験から“勝ちパターン”との手応えもあった。そんな中、10番で3パット。「わけがわからなかった。何でもない(パー)パットだったのに。あの1打でおかしくなった」と振り返る。

それまで感じたことがない精神状態。それまで不安にさいなまれても、「あれだけ練習してきたんだから大丈夫」と自分を鼓舞し、乗り越えてきたが、それも通じなかった。「プレッシャーが“変異”した」。

変異し続ける重圧を克服した代表格はミケルソンだろう。かつてメジャー、特にマスターズでは勝負どころで短いパットを外して自滅し、「無冠の帝王」呼ばわりされていたが、04年マスターズに初優勝すると、13年全英オープンまでメジャー5勝を挙げた。ミケルソンやエルスと丸山は同世代。ともに少し年下であるウッズの壁と戦ってきた戦友だ。でも「僕にはできなかった」(丸山)。04年全米オープンでも優勝争いしたが、4位だった。

一因に、日本選手のメジャー優勝という前例がなかったことがあったかもしれない。丸山は米ツアーに挑む際、「既に青木(功)さんが(83年)ハワイアンオープンで勝っていた。僕も頑張れば勝てるかもしれない」と思っていたと言い、米ツアー3勝を挙げた。

だからこそ、丸山は松山のマスターズ制覇、メジャー優勝を「革命」と呼ぶ。テニスの4大大会で優勝した大坂なおみ、NBAドラフト1巡目指名の八村塁、大リーグで「二刀流」を実現した大谷翔平と同じく、日本人として前例のないことの殻を破った意義は大きいと強調する。

「野茂(英雄)さんがいたからこそ、多くの日本人メジャーリーガーが誕生したのでしょう」と丸山。野茂の大リーグでの挑戦と成功が、「日本人でもできる」と呼び水となったのは間違いない。ゴルフ界でも松山に続く存在が、日本を含むアジア勢から出てくると、確信している。

アマ時代から順風満帆に見える松山も、17年全米オープン2位など、過去のメジャーで重圧に苦しんだはずだ。今年2月に丸山と松山はロサンゼルスで会食。現地では新型コロナウイルス感染防止のため、屋内での会食は禁止されており、寒風吹きすさぶ屋外でブルブル震えながらの会食だった。その中で、丸山は松山の苦悩を感じ取っていた。松山が勝った瞬間、丸山は感極まって涙した。

堅い扉をついに開いた松山の偉業は、今後長く影響を与えるだろう。日本男子初のメジャー制覇はゴールではなく、新たな時代へのスタートとなる。【岡田美奈】