尾崎将司さんは名選手で名指導者…笹生、西郷、佐久間、原ら孫世代の教え子がイズム継承し世界へ

ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーセレクションでテスト生といっしょに笑顔を見せる尾崎将司さん(右)(2023年2月撮影)

男子ゴルフの日本ツアーで通算最多94勝を挙げるなど、実力と人気で黄金時代を築いた尾崎将司(おざき・まさし)さんが、23日午後3時21分にS状結腸がんのため死去した。78歳だった。12度の賞金王にも輝き、生涯獲得は26億円超。野球から転向して健夫(71)直道(69)とプロゴルファー「尾崎3兄弟」の長男として活躍し、昭和、平成を象徴するスターだった。葬儀・告別式は故人の遺志で家族葬として執り行い、後日お別れの会を行う予定。

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メジャー優勝は2人で計3度、今年は国内ツアーでも年間女王を誕生させた。「ジャンボ」こと尾崎将司さんは、名選手でありながら名指導者という、日本ゴルフ界の歴史上、唯一無二の存在だった。笹生優花は世界最高峰の全米女子オープンを2度も制し、西郷真央は今年のシェブロン選手権で米ツアー初優勝。2人のメジャー女王に加え、今年は佐久間朱莉が、国内で年間女王に輝いた。さらに国内メジャー通算3勝で、屈指の人気を誇る一番弟子の原英莉花と多士済々だ。

20代のトップ女子プロにとっては“おじいちゃん”のような存在だ。そろって「ジャンボさん」と、親しみを込めて呼ぶ。フィリピンで育った笹生は、尾崎さんの自宅兼練習場「ジャンボ邸」を初めて訪れた際の思い出話をしたことがあった。玄関に到着すると年配の男性が掃除しており、笹生は「レジェンドだから、毎日家を掃除する人もいるんだ」と思ったというが、その男性こそが尾崎さんだった。「ジャンボさんっていうから、アメリカ人かと思っていた」。一歩間違えれば失礼にもなりそうな勘違いも笑って受け入れ、大きく育てる度量があった。

佐久間は今月、直近のエピソードを明かしていた。千葉県内の「ジャンボ邸」に、年間女王となったことを報告。「強くなったな。おめでとう」と祝福されたという。ただ直後に「(国内)メジャーは取ってないんだっけ?」とチクリ。佐久間は「いつも『おめでとう』の後に、グサッとくる言葉があって。それがジャンボさんらしい(笑い)」と、誉めるだけではなく、課題や目指すべきものを気付かせてくれることが成長につながったと感謝した。

「せごどん」と呼ばれた西郷は、尾崎さん手製の素振り棒を常に、米国にも持っていった。棒に羽のようなものが付けられ、振ると「ブルン」という大きな音が出る。海外の選手に、物珍しそうに目を見開いて見られるがお構いなし。西郷は「この音を聞いて、今の自分のスイングの状態が分かる」と欠かせなかった。

「エリカ!」と、最も怒られたのは原だ。それでも原は「ジャンボ邸に行くのは楽しい。いっぱい怒られて悔しくても、やっぱり次の日、海沿いを車で運転して向かっていると楽しい気持ちになる」と心酔していた。尾崎さんの身上は「アスリートは体が資本」だ。体づくりの重要性を最も説かれた原は今年、過酷な米国下部ツアーを戦い抜き、来季のレギュラーツアー昇格の権利を勝ち取った。

有名プロになれば練習場を確保できるが、無名のアマチュアは好きなだけ打ち込むことができる場所がない。その環境を自宅につくり、いつでも好きなように使わせている。その様子を尾崎さんは、時には少し離れてカートに乗って見つめる。「少し離れた方が分かることもある。彼女たちとの接し方も同じかもな」。身近な“親”ではなく“おじいちゃん”のような存在だからこそ、成功した部分があると自己分析したことがあった。昭和の時代の自らの経験を押しつけるのではなく、時代に合わせた柔軟性があった。尾崎将司は昭和、平成の名選手、令和の名指導者だった。【高田文太】

【まとめ】ジャンボ尾崎さん死去 ツアー通算94勝、賞金王12回の名ゴルファー