プレーバック日刊スポーツ! 過去の8月30日付紙面を振り返ります。2004年の1面(東京版)はアテネ五輪ハンマー投げ室伏広治の繰り上げ金メダルでした。

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<アテネ五輪>◇最終日◇2004年8月29日

 陸上男子ハンマー投げで銀メダルを獲得した室伏広治(29=ミズノ)が金メダルに繰り上がった。国際オリンピック委員会(IOC)は29日、アテネで理事会を開き、同種目で優勝したアドリアン・アヌシュ(31=ハンガリー)について、再検査を拒否したことによるドーピング違反と断定し、同選手を失格として金メダルをはく奪した。これにより室伏の繰り上がりが決定。日本の金メダル数は過去最多の1964年東京大会の16個に並んだ。

 金メダル繰り上がりが決まり、室伏はアテネ市内で会見に臨んだ。そして「皆さんに見てもらいたいものがある」と話し、自筆のメモを報道陣に配った。メダルの裏に書かれたギリシャの古代語の文章を周囲の協力を得て訳したという。「真実の母オリンピアよ。あなたの子供達が競技で勝利を勝ちえた時、永遠の栄誉(黄金)をあたえよ」。室伏は「金メダルより重要なものがある。本当の真実の中で試合が行われることが、どれだけ大切かと思って引用した」と力説した。

 ドーピングは断固許せない室伏の信念を示した。それは今回の疑惑追及にも大きく働いた。IOCを再検査へ動かしたのは室伏自身の証言だった。「絶対におかしい。(アヌシュは)競技途中でトイレに行ったのに、競技後のドーピング検査は誰よりも先に尿が出て終わっていた」。選手村の沢木啓祐・陸上監督の部屋で、切実に訴えたという。

 競技後の検査でアヌシュは陰性だった。IOCも1度は「不正はない」と発表した。しかし、室伏の証言を受けて日本オリンピック委員会(JOC)はあきらめず、徹底調査を訴えた。選手の証言を得たことでIOCの対応が一転した。調査の結果、アヌシュの尿検体が競技前の検査と競技後の検査では別人のものである決定的な証拠をつきとめ、理事会後に発表した。

 この日、IOCは理事会に先立ち規律委員会を開いた。病気を理由に欠席したアヌシュに代わり、ハンガリー・オリンピック委員会(HOC)のシュミット会長から再検査を拒否した理由を聞いた。同会長は検査場所が警察署だったことを指摘して「犯罪者でもないのに」と主張した。しかし、IOCは検査拒否の正当な理由はないとして「拒否は失格」の規定に従い、金メダルはく奪を決めた。

 22日のハンマー投げ決勝でアヌシュは3投目に83メートル19を投げた。室伏は最終6投目に82メートル91で、28センチ及ばなかった。アヌシュはその後のドーピング検査をパスしたが、翌23日の円盤投げで同じコーチの指導を受けるファゼカシュが尿検体の提出を拒んで金メダルをはく奪されたことで、IOCは追跡調査を開始した。27日に検査官をハンガリーまで派遣。再検査を要請したが、アヌシュは指定場所に現れなかった。疑惑が広がると「尊厳を傷つけられた」と引退を表明し、騒動に幕を下ろそうともした。

 室伏の金メダルは陸上のトラック、フィールド種目では36年ベルリン大会の3段跳びの田島直人以来、実に68年ぶり。投てき種目ではアジア初。前回シドニー大会で9位と惨敗したが、2度目の五輪でついに世界の頂点に立った。「一番重要なのは努力し続けることだと思っている」と室伏。4年後は連覇を目指す立場となった。

<室伏一問一答>

 -繰り上げ金メダルが決まった感想は

 室伏 これまで精いっぱい努力して、毎日耐えて一生懸命やってきた。このような金メダルという形で残すことができて、本当にうれしく思う。直接表彰台で受け取りたかったのが本音だが、日本の皆さん、世界中の応援があって精いっぱい戦えた。本当に重要なのは、そこに努力していくこと。(メダルの裏に書かれた文章を引用して)金メダルよりも重要なものが、ほかにもあるんじゃないか。真実という言葉が非常に印象に残った。

 -金メダルより重要なこととは何か

 室伏 真実の中で試合が行われることが、どれだけ大切かを認識した。

 -今のドーピング検査のあり方をどう思うか

 室伏 IOCやWADA(世界アンチドーピング機構)がスポーツを守ろうと努力している。選手はクリーンな状態で精いっぱい試合に臨むことを考えなければいけない。

 -アヌシュに対して

 室伏 ハンマー投げの選手がこのような形で通らなかったのは残念。円盤投げや砲丸投げの投てき種目で失格が出て非常に寂しい。

 -ドーピングを撲滅する方策は

 室伏 日本だけの問題ではない。国の事情も背景も違う。五輪、メダルに対する価値が違う。友好を深めたり、いい雰囲気が自然にわいてくるような環境づくりが大切。

 ◆室伏広治(むろふし・こうじ)1974年(昭49)10月8日、静岡県沼津市生まれ。小学校時代は野球、テニス、少林寺拳法も経験。千葉・成田高で本格的にハンマー投げを始める。98年4月、父重信氏の日本記録(75メートル96)を更新。01年世界選手権(エドモントン)銀、03年世界選手権(パリ)銅。昨年6月のプラハ国際で世界歴代3位の84メートル86をマークした。妹由佳もハンマー投げでアテネ五輪に出場。187センチ、92キロ。

※記録と表記は当時のもの