関東学生アメリカンフットボール連盟は31日、都内での臨時理事会後に記者会見を開き、関西学院大の選手を悪質な反則で負傷させた問題で、18年度シーズン終了まで公式試合の出場資格停止とした日大について、出場停止を解除しないと発表した。日大は秋のリーグ戦への出場が不可能となり7試合とも不戦敗となる。

 森本啓司専務理事は「検討委員会の答申を受け、理事が決議しました。理事は承認し、出場させるかどうか議論したわけですけども、理事23人のうち2人棄権、1人は日大で対象外。20人で話し合った結果、答申に賛成、認めないと承認した理事は17人。20分の17。日大は十分な改善がなされていない。自動的に秋のリーグ戦、本年度は出場できないという結果になりました」と報告した。

 関東学連の検証委員会は答申で「日大アメフト部が競技部ガナバンス検討委員会などの協力を得てチーム改革を進めようとしていることは評価できる、しかしながら、兼職禁止やモニタリング機能の制度化、および学生の意識改革を進めるための方策など、一競技部を超えて保体審さらには日大全体で取り組まなければ実効性を伴わない施策については、その策定も実施もいまだ不確定・不十分であると言わざるを得ず、本日現在までに十分な改善がなされたとは認められない」とした。

 関東学連には、処分解除を求める日大から、提出期限の17日にチーム改善報告書が提出されていた。学連の検証委員会が精査し、31日にまでに答申を受けた理事会で解除か否かを決めることにしていた。23日には関東学生1部監督会から、日大のチーム改善報告書の開示要望書が提出され、24日までに開示されない場合は秋のリーグ戦で日大との対戦を拒否すると通告された。関東学連は同日、1部監督会に日大のチーム改善報告書を提示していた。

 今回の問題は、5月6日に行われた日大と関学大の定期戦で、日大のDL宮川泰介選手が関学大のQB奥野耕世選手の背後から悪質なタックルを仕掛け、右膝軟骨損傷と腰の打撲で全治3週間のけがを負わせ、試合の映像が当日からインターネット上などで拡散し、社会問題化した。

 その中、関東学連は5月9日に規律委員会を設置し、同10日に宮川選手の対外試合出場禁止、日大の内田正人前監督への厳重注意処分を発表した。その後、同22日に宮川選手が都内で会見を開き、悪質な反則は内田前監督と井上奨前コーチの指示に基づくものだと説明したが、内田前監督と井上前コーチは翌23日に会見を開き、指示を否定し、奥野選手を負傷させる意図はなかったなどと説明した。

 関東学連は5月29日の臨時理事会で協議し、内田前監督と井上前コーチの主張を虚偽として、永久追放に当たる最も重い除名、森琢前ヘッドコーチに資格剥奪の処分を科した。反則をした宮川選手とチームには原因究明を行い、実効性の高い改革、組織改革を断行し、報告書を提出して改善がなされ、理事会で承認されれば解除されるという条件付きで、今季の公式試合出場資格停止処分を科した。

 関東学連は6月26日に開いた臨時理事会で、内田前監督と井上前コーチの除名処分を正式決定した。そして日大が同19日から公式サイトで後任の指導者公募を始めた件について、OBを除外して外国人前提のように英文の募集要項を掲載した上、公募期間が10日と短く重要な選考委員や選考過程が不透明だと指摘。一部の理事主導などであれば、ガバナンスに問題ありとし同22日付で日大保健体育審議会と部に対し「新監督・コーチ選考にあたりご留意いただきたいこと」を通達した。指導者や背後の権力者によるワンマン体制に陥らない仕組み構築を求め、これらが解決しなければ今季の公式試合出場資格停止処分の解除は認められないとしていた。

 関東学連が理事会を開いた前日の30日には、日大アメフト部第三者委員会が都内で最終報告記者会見を開いた。委員長の勝丸充啓弁護士らは、経営トップの田中英寿理事長がガバナンスの機能不全を放置し、説明責任を果たしていないと指摘した上で、組織改編などの改善策提示とともに、理事長には反省声明発表を要望した。

 また問題が起こった当時の日大の理事で、その後、辞任した井ノ口忠男氏が5月14日に、宮川泰介選手と父親を日大三軒茶屋キャンパスに呼び出し「タックルが故意に行われたものだと言えばバッシングを受けることになる」と、内田正人前監督の関与がなかったかのように説明することを求めたと指摘。その上で、「(同意してくれれば)私が、大学はもちろん、一生面倒を見る。ただ、そうでなかったときには、日大が総力を挙げて、潰しにいく」(コメントは原文のまま)などと宮川選手と父親に口封じを図ったと指摘した。

 今季の出場停止処分は解除されなかったが、連盟は出場を前提に準備を進めてきており、日大には会場負担金やチーム券など約300万~400万円程度とみられる補てんを求めるという。日大の初戦は9月1日に日体大戦が予定されていた。【村上幸将】