柔道女子57キロ級の玉置桃(25=三井住友海上、岩見沢市出身)がオリンピック(五輪)代表争いを勝ち抜き、父新さん(52)への感謝を届ける。昨年は優勝した11月のグランドスラム(GS)大阪、2位だった12月のマスターズ大会で、同階級最有力候補の芳田司(24=コマツ)に勝って代表レースに踏みとどまった。柔道の基礎をたたき込まれた師匠であり、今は病気と闘う父への恩返しの舞台を目指す。

思いを背負い、勝負の畳に立つ。厳しい五輪代表選考レースの真っ最中。玉置は今年の目標を「上を見て努力 下を見て感謝」と力強く記した。

玉置 上には努力している人がいて、強い人がいる。それに負けないような努力。下には支えてくれている人もいれば、不幸な人もいる。感謝の気持ちを持って東京オリンピックに向けて準備をして戦いたい。

自らの柔道人生は出会いと感謝の繰り返しだった。始まりは6歳。社会人でも活躍した柔道家である父との稽古。後に「玉置塾」を開くことになる独特の指導法が土台を作った。

玉置 体はもちろんきつくて、頭も使うんですよ、お父さんのメニューは。理論、理屈から全部教えてくれて。その通りにやったら勝てるみたいな自信がありました。できるようになると楽しくて。柔道を嫌になることは1度もなかった。

父の教え子には東京五輪を目指す“戦友”もいる。男子60キロ級日本代表候補の永山竜樹(23=了徳寺大職)だ。実家裏にある約17畳のプレハブ道場で何度も何度も組み合った。

玉置 すごい力になります。ライバルじゃないけど、竜樹がいるから自分も頑張ろうとそういう気持ちにさせてもらっている。

柔道家としての礎を築いた北海道は今でも「一番の原点」と強調する。

玉置 そこがなかったら今の自分はいないし、柔道もできていない。たくさんの人に支えられて、たくさんの人に教えてもらった。

15歳で育てられた「原点」を後にした。今でも憧れる04年アテネ五輪女子52キロ級銀メダル横沢由貴(三井住友海上)。大好きな生まれ故郷を「オリンピックの近道だと思って」離れ、東京の藤村女高に進んだからこそ、出会った。

玉置 こちらに来て一番最初に横沢さんが高校生の私に丁寧に教えてくれて、技やら何やら。この人みたいになりたいって。

高校1年で全日本ジュニアを制し、世界ジュニアや講道館杯にも出場。五輪を夢見て卒業後に三井住友海上に進んだ。96年アトランタ五輪で同郷の恵本裕子が日本女子初の五輪金メダルを獲得した後に建てられた「世田谷道場」。上野雅恵、順恵らを輩出した道場の畳は1度も張り替えていない。その場所で、技を磨き続けた。

玉置 道産子がいるなら、自分もできるだろうって。根拠ない自信が。

04年のアテネ大会で初めて意識した五輪。20年東京大会への第1歩は代表選考を突破すること。18年世界選手権優勝の芳田がはだかる。それでもスタンスは変わらない。

玉置 (昨年は)すごい忙しいけど、逆に充実した1年だった。楽しめた。ワクワクした日々を送れた。プレッシャーは感じない。自分のやるべき事をやるだけ。常に進化、変化を求めてやってこられた。自分の敵は自分。

東京五輪ではどうしてもかなえたい夢がある。14年に脊髄の病気で手術し、現在は車いすで生活する父を日本武道館に招くこと。そして…

玉置 東京五輪に連れて行って、金メダルをかけてあげたい。

今でも大会後に電話で助言をくれる父。人一倍柔道を愛する父に、金色に光り輝くプレゼントを届ける。【浅水友輝】

◆玉置桃(たまおき・もも)1994年(平6)9月16日、岩見沢市生まれ。岩見沢光陵中3年の全国中学48キロ級を制し、東京・藤村女高では1年時に全日本ジュニア選手権48キロ級で優勝。三井住友海上では19年に講道館杯優勝、GS大阪優勝、マスターズ大会準優勝。家族は両親と弟玉、妹桜も柔道家。きょうだいでの食事が息抜き。最近の趣味は路上ライブ鑑賞で「人間観察? ファンの子たちの表情を見ているのも楽しい」と長いときは、1時間半も見続ける。162センチ。

◆東京五輪代表への道 世界選手権18年優勝、19年準優勝の芳田とほぼ一騎打ち。玉置は4月の全日本選抜体重別選手権決勝●、11月の講道館杯全日本体重別選手権準決勝○、12月のマスターズ大会準決勝○で3戦2勝1敗。今後は2月のGSパリ大会、GSデュッセルドルフ大会の成績で判定。そこでも決まらなかった場合は4月の全日本選抜体重別選手権の結果をもとに選考される。