新型コロナウイルスの感染拡大の影響で3月27日にシーズン打ち切りとなったBリーグ。B1新潟アルビレックスBBは41試合を消化し、13勝利28敗で中地区4位。全体順位は18チーム中15位で、B1残留トーナメントに回る下位4チームに入ったままと低迷した。残留プレーオフも中止となり、B1在留が決まったものの、大黒柱のPG五十嵐圭(39)が不完全燃焼に終わったシーズンを振り返り、来季の巻き返しに向けた心境を語った。2回にわたってお伝えする。

     ◇   ◇   ◇

突然のシーズン終了から約2週間。オフに入った五十嵐は次のシーズンに向けて、英気を養っている。その中でも忘れないのが今季の出来事だ。新型コロナウイルスによる中断、無観客試合、そして中止。成績は中地区優勝を飾った昨季から一転、残留争いに巻き込まれた。今季は新潟在籍4年目で最も苦しいシーズンだった。チーム、そして自身の反省点を洗い出し、来季につなげようとしている。

-レギュラーシーズンは予定の60試合中41試合で終了した

五十嵐 試合数が少なかったせいもあり、体力的には例年よりも疲れはないです。もともと今季はケガもなかったので、体の面は問題なかったです。ただ精神的には疲れました。考えることが多かった。今までのシーズンより大変でした。

-最も気持ちが晴れない部分は

五十嵐 今季の新潟は「ニューチャレンジ」というスローガンを掲げていました。だが、明確なバスケスタイルを築けなかった。昨季までの大黒柱、ダバンテ(ガードナー、28=三河)がいなくなり、さあ、どうするんだ、となった時にどういうものを目指していくのか、どういうバスケをするのか。それを確立できないまま終わってしまった。

-自分たちの戦い方がみつからなかった

五十嵐 最初はアップテンポのバスケを意識しましたが、開幕のA東京戦(昨年10月5日、6日)で連敗した時に不安が残った。今季は結局、勝った試合は守備で頑張ってロースコアに持ち込んだケースがほとんど。そうしないと勝てない、というのは感じていました。攻撃面でポイントガードとして試合をつくることができなかった。自分たちの強みを出せなかった。答えが出ないうちにシーズンが進んでしまい、こういう形で終わってしまった。

-試合中、感情が表に出ることが多かった

五十嵐 そうですね(苦笑い)。自分自身も特に序盤戦は調子が上がらなかったです。合計でも3点シュートの成功率が30%に届かなかった(28・8%)。うまくいかないな、という思いを常に抱えていたシーズンでした。それが表情に出てしまったかな。個人的な反省点です。

-苦しいシーズンになるという危機感はあった

五十嵐 それはありました。ただ、正直なところ、チーム全体がそう感じていたかというと、分からないです。どうなんだろう、と思うこともありました。

-選手全体で話し合う機会などは

五十嵐 試合間隔が空いたときなどにありました。ただ僕はあまりそこには効果を感じないタイプ。負けている時はどうしてもネガティブな話になりがちです。それよりもチームの明確な目標を突き詰めて全員で意思統一する方がいいと思う。今季に関しては昨季のことを忘れて、新しく挑戦する、と。

-長い現役生活の中でも今までにないシーズンでは

五十嵐 昇格、降格がある中で今季は常に下位にいました。これまでは上も下も狙える位置で、ずっと戦うことがほとんどでしたけど、ここから抜け出さなければという状況は苦しかったです。残留プレーオフを経験した他チームの選手仲間に聞いても、かなり厳しいという話でしたし。そのラインにいたというのはつらかったです。逆に2度とこういうシーズンにしてはいけない、という思いや経験は、来季に生かさなければならない。

-「骨を埋める」という覚悟で新潟に来て、4季を終えた

五十嵐 自分が新潟を勝たせるという気持ちは同じです。ただ、来季のことはこれからです。現役は続けます。(つづく)【聞き手・斎藤慎一郎】

◆五十嵐圭(いがらし・けい)1980年(昭55)5月7日、新潟県上越市生まれ。直江津東中から北陸(福井)に進み、中大へ進学。3年の時にインカレで準優勝。卒業後は日立に入社。06年は日本代表として世界選手権に出場。09年にトヨタに移籍し、10年から三菱電機名古屋に所属。16年に新潟に移籍。今季は1試合平均9得点、同3・6アシスト。ポジションはPG。180センチ、73キロ、背番号7。