2016年リオデジャネイロ五輪の女子バスケットボールで日本代表の20年ぶり8強入りに貢献した主将、吉田亜沙美(33)は今後についてまだ明確な答えを見つけていない。東京五輪を目指して現役を続けるか、それとも引退するか。吉田が日刊スポーツの取材に応じ、現在の胸中を明かした。

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3月下旬に東京五輪延期が発表されて、もう半年以上が経過した。結論は出ていないが、吉田の表情に暗さはなかった。

吉田 (去就については)ぼやっとした状態が続いている感じ。なかなか答えは出せないけれど、焦りはないし、苦しいという気持ちもないですね。

昨年3月にいったんは現役を退いた。コートを離れ、イベント出演や解説といった形でバスケと向き合う日々。そうしたなか、五輪開催まで1年前の節目を迎えたころ、選手として東京五輪を目指したいという気持ちが大きくなっている自分に気づいた。9月、古巣JX-ENEOS(現ENEOS)の一員として再び名を連ね、その後は日本代表合宿にも参加。今年2月には五輪予選大会にも出場した。目標の大一番に向けて本人も手応えをつかみつつあった中で、コロナ禍による開催延期に心が大きく揺れた。

吉田 この年齢での1年延期はやっぱり長い。若い選手ならその期間に上達できても、ベテランになるとそうは言っていられない。来夏に必ずオリンピックが出来るか不確定な部分もある。仮に開催できたとしても、もし強豪国がそろわなければ、自分にとって意味がなくなってしまう。

前回の引退撤回から復帰に至るまでの道のりは、一見すると順調に見えても、本人にとって決して平たんではなかった。身体を絞り直すことからはじめ、強い負荷をかけて筋力や体力を取り戻す。当初は2時間の練習に身体がもたなかった。久しぶりの代表合宿では身体中が悲鳴を上げた。それでも歯を食いしばり、極限まで自分を追い込み、高めてきたなか、大会延期決定によってモチベーションがぷつりと切れた。

吉田 あの段階にもう1回踏み込むとなると、心の準備が整っていない部分がある。自分は気持ちでプレーするタイプ。中途半端な気持ちのままで代表合宿に参加するのは失礼だと思うし、そのことはトム(ホーバス日本女子代表監督)にも伝えた。

3月下旬以降、長らくトレーニングから遠ざかっている状態が続いている。幼い甥(おい)や姪(めい)と遊んだり、国内を旅したり、週末に友人と会ったり。コロナ禍で制限はあるとはいえ、これまで経験できなかった生活が新鮮にも感じている。

吉田 いまの自分はまだ、バスケをやりたいとは思えていない状態。11月上旬にイベントで久々にバスケットボールに触り、参加してくれた子供たちの笑顔を見てうれしい気持ちになれた。でもだからと言って、あれをきっかけにまたプレーしたいという気持ちにはなっていない。もう少し時間がかかるのかな。

規定によりシーズン途中からWリーグのチームに加わることはできない。海外クラブ入りを目指すことも考えていないという。もし現役続行を選択することになった場合は、「無所属」として日本代表入りを目指すだろうと明かす。

吉田 個人で動くしかないと思っている。どこかの体育館で練習しているところに交ぜてもらったりとか。

来夏まで、残されている時間は決して長くない。11月には、味の素ナショナルトレーニングセンターで代表合宿が再開された。吉田が現役を続ける選択肢を選んだとしても、果たして間に合うのか。

吉田 やるとなったら追い込むタイプ。間に合わせられるとは思っている。とはいえ、そんなに甘い世界ではないことも分かっている。(代表チームに)呼ばれなければアピールする場もないし、可能性は限りなくゼロに近いと思う。でもそれはそれで自分の決断。焦って決めたくはない。続けると決めたあと、代表側から『もう無理です』と言われたら、それはそれかなと。流れに身を任せて、自分が思うままにやっていくしかないと思っている。

チームメートからは長らく「リュウ」と呼ばれてきた。そのニックネームは、試合の“流れ”を呼び込む選手、という意味に由来する。再びコートに戻るか、それとも身を引くか。自身の大きな決断について、肩の力を抜き、自然な流れに委ねようとしている。【奥岡幹浩】

 

◆吉田亜沙美(よしだ・あさみ)1987年(昭62)10月9日、東京都生まれ。東京成徳高3年時には主将でインターハイ、国体で優勝。高校生で唯一、日本代表にも選出された。06年、JOMO(現ENEOS)に入団。13年アジア選手権で金メダルを獲得。16年リオ五輪では主将を務め、20年ぶりとなる8強進出に貢献した。19年3月に引退表明したが、同9月に復帰。ニックネームはリュウ。166センチ、A型。