浅田真央引退 日本中が見守り続けた笑顔と泣き顔

16年12月、フィギュアスケート全日本選手権 女子フリーの演技を行う浅田

 さようなら、真央ちゃん。フィギュアスケート女子の10年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(26=中京大)が引退を表明した。15歳でGPファイナル制覇も年齢制限により06年トリノ五輪に不出場。ライバルのキム・ヨナ(韓国)との激闘、最愛の母匡子さん(享年48)との別れ、そして14年ソチ五輪で見せた奇跡のフリー。競技の枠を超えて愛された国民的ヒロインが、勝負の銀盤に別れを告げた。

 号泣する浅田の姿が、人々の心を震わせた。14年2月のソチ五輪。SP16位と出遅れ、メダルの可能性はなかった。それでも浅田は代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を含めてジャンプをすべて着氷。「奇跡のフリー」に、大相撲元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏が「2日間あんまり寝てない。本当に感動をありがとう。真央ちゃん。メダルなんかいらない」とつぶやいた。ロシアの地元記者は「私はサムライを見た。メダルが何だ! サムライにとって唯一の勲章は不朽の名声だ」とした。競技も、国境も超えて、愛された希代のスケーターだった。

 05年のGPファイナルで中学3年生が当時最強と言われたスルツカヤ(ロシア)を抑えて初出場で優勝。世界に衝撃を与えた。06年トリノ五輪は年齢制限で出場できなかったが、天真らんまんだった少女が大人に成長する過程を日本中が見守った。10年バンクーバー五輪でSP、フリーを合わせて3回転半を3度決める女子初の快挙を達成して銀メダル。同じ年齢のライバル、キム・ヨナとの争いは常にスケート界の中心だった。ライバルも諦めた高難度の技を跳び続けた。フィギュアの進化を促し続けた孤高の存在だった。

 GPシリーズではファイナル4度を含む日本人最多の15勝をマークした。全日本選手権は6度制した。世界選手権優勝3度も日本人最多。しかし悲願の五輪金メダルには届かなかった。

 多くの苦難に立ち向かう姿が人々の心を打った。競技の地位を高めた功績は計り知れない。三原舞依、本田真凜ら浅田に憧れる子どもたちがスケートを始め、普及と強化にも貢献した。5歳で銀盤に魅了されてから21年。誰からも愛された国民的なヒロインが、真剣勝負の舞台から去った。【益田一弘】