大野将平が無差別日本一挑戦「柔道界のシンボルに」

天理大で重量級の選手と稽古に取り組む大野。大外刈りの切れ味は抜群だ

 「伝説」を作る-。柔道のリオデジャネイロ五輪男子73キロ級金メダリスト大野将平(25=旭化成)が、明日29日に東京・日本武道館で開かれる全日本選手権に参戦する。体重無差別の日本一決定戦で、身長170センチ、73キロ級の体格は出場43選手で一番小さい。ケガのリスクがあり、苦戦必至にもかかわらず、なぜ出るのか。そこには柔道界のシンボルならんとする強い決意がある。【取材・構成=阿部健吾】

 動機の根幹はとても単純で、1つの真理でもあった。「自分の物差しで測ったときに、無差別でも強いことが男として目指すべきところじゃないですか」。

 大野が全日本選手権に出場する。その一報を聞いた多くのファンの心は躍っただろう。日頃、柔道界の隆盛を使命とする金メダリストが選んだ道は、連覇がかかる世界選手権ではなく、柔道発祥日本の伝統、無差別で日本一強い男を競う舞台だった。

 -今夏の世界選手権は在籍する天理大大学院の修士論文作成のために欠場する。出場はすんなり決めたか

 大野 結構迷いました。勝ち続けることで見えてくることもある。でも、やはり全日本の意味を考えた時に世界選手権、五輪と同等くらいの価値を感じました。柔道界のシンボルみたいな選手になりたいと言っていて、古賀さん、岡野さん、偉大な中量級の先人は全日本で活躍している。避けては通れない。

 -脚取り禁止でもある現行ルールでは、勝ち上がるのはより難しいが

 大野 分かってます。優勝できる可能性もなかなかない。ただ、「大野はどこまでやれるのか」「大野だったらどんな柔道をするのか」と期待してもらえる。勝ち負けではない部分があって、1回でも多く武道館を沸かせること、驚かすこと、1つでも上へ行くこと、これしかない。1分、1秒、一瞬でやるべきことをやるしかない。

 -何を見せたいのか

 大野 子供たちですね。逃げたり、組み手でさばいて、切って、じゃないでしょ、と。73キロ級のスタイルのまんま、でっかいやつとがっちりと組み合って、真っ向から大外刈り、内股をかけて、「こいつバカなんじゃないか」「なにしてるんだ」と思うでしょ。でも、小さくてもできるんだと。「こいつ、すごい」「違う」という存在感を醸し出さないと、僕の今後もない。正々堂々、大野将平の柔道をぶつける。これが本当に格好いいかなと思う。

 体重は79キロ前後。減量前の普段と同じで、あえて「全日本仕様」にはしない。豪快な投げ技で73キロ級の世界の頂点に立った。しっかり両手で相手の道着を持って投げる、日本柔道の伝統を貫徹してこそ意味がある。柔道家としての生き方、価値を熟慮する大野ならではの挑戦といえる。実際、全日本に初出場した14年、最も会場を沸かせたのは、そんな戦いだった。3回戦で100キロ超級の王子谷剛志に向かい、逃げの姿勢は皆無。判定負けはしたが、優勝した王子谷が唯一、一本勝ちを奪えなかった事実が、ひときわ光った。

 全日本に向けた天理大での稽古でも、重量級の後輩を大外刈りでなぎ倒す場面が目立った。もともと東京・世田谷学園高では、中量級ながら、自分より体重が重い仲間と稽古で激しい乱取りを続けていた。重量級と組むことは日常。それが大野のスタイルを形作った。だから、無差別への挑戦も特別なことではない。

 「柔道ファンに喜んでもらいたい」。その気持ちは第一だが、同時に全日本出場には緻密なプランも併せ持つ。「武道館で試合をすることがないんですよ。そこでやりたかった」。20年東京五輪の試合会場は、中量級の年間スケジュールを履行していては、畳に上がる大会はない。3年後を見据えて、2連覇を見据えてのアプローチでもある。

 豪快な一本勝ちにも繊細な技術の裏打ちがある。それは勝負事、2度目の五輪で頂点に立つための準備でも一緒だ。大胆さと緻密さこそ、大野らしさの証し。

 「歴史に名を残すようなチャンピオンになりたい。あいつバカだった、本当にすごかったと言われるような柔道家になりたい」

 4月29日。その信念、覚悟を示す。

◆大野将平(おおの・しょうへい)1992年(平4)2月3日、山口県生まれ。東京・弦巻中-世田谷学園高と柔道の私塾「講道学舎」で腕を磨き、天理大に進学。14年に旭化成入社。世界選手権は13、15年優勝。得意技は大外刈り、内股。たたずまいと豪快な投げ技から海外では「キラー」「サムライ」と呼ばれる。家族は両親と兄。